このカラフル・・・机上は、豪華絢爛です。
@店長の前職(大学教授)時代の担当ゼミ生の『Yゼミ卒業論文集;先ごろ若者気質』
Aフィールドワークで地域の方々と資料をまとめた『瀬田国民学校 学級日誌』、
Bチャイハナの日々 です。
@ではありのままの若者像を、Aでは戦争の時代にあっても明るく過ごした子どもたちの様子を、Bではチャイハナの日々の様子をお伝えしています
2020年07月22日
2020年07月10日
集中豪雨と「アジア・モンスーン前線」
集中豪雨による大規模水害が、九州各地をはじめ広く日本列島を襲っています。これに関連して、九州・熊本で大洪水があった7月6日のユーラシア大陸南部の天候写真を紹介します。

インド西岸から日本列島まで右肩上がり・ほぼ一直線の前線が見て取れます。FBで友人が教えてくれました。「アジア・モンスーン前線」といえるものだが、こう一直線になるのは珍しい、と友人はコメントしていました。
ところで、この図を見れば分かることですが、今年の集中豪雨による大規模災害は、日本列島だけのことではありません。
九州大豪雨の一月前ごろから、インド北部(アッサム州)、バングラデシュ、ミャンマーなどから大規模水害のレポートが届くようになりました。中国・揚子江一帯でも、上流域から中流域へと洪水が広がり、「三峡ダム決壊・寸前」「決壊か?」といったニュースが繰り返し流れました。いまも、おさまったという報道はありません。
揚子江一帯では、「半世紀に一度の長雨」「上流からの水」「(1000以上の)個別ダムの放水」と悪条件が重なって、すでに2000万人以上が被災、さらに下流域の大都市への被害の拡大が懸念されている、ということです。
もうひとつ、一見まったく別件のようですが、昨年末、アフリカ北西部(ソマリア、エチオピア一帯)でイナゴが大発生した、という報道がありました。イナゴの大群はその後、イラン、パキスタン、インド北部、中国南西部と移動、いまは中国・四川省から湖南省あたりまで達し、猛威を振るっているということです。まさしく、「モンスーン前線」沿いの移動です。
西アフリカのバッタの大発生のときにいわれたのは、「インド洋ダイポールモード」といわれる現象です。ダイポールは「二つの極(双極)」という意味。インド洋が、海水温の比較的高い西側海域と比較的低い東側海域の二つの極(ダイポール)に分岐した。高水温の西側海域は、一種の熱源として多量の水蒸気(積乱雲)を発生させ、北西アフリカに大量の雨を降らせ、それがバッタの大発生につながった――という説明です。
この「インド洋ダイポールモード」の原因は、昨年夏、南半球インド洋で南東季節風が強かったため、温暖な表面水が東から西に運ばれたことだとみられています。南東季節風の強まりは、やはりオーストラリアの大規模森林火災が関係している可能性があります。
高温のインド洋北西部で発生する積乱雲の軍団は、(北半球の)北西季節風に乗せられ、インド西岸(まさに図に示された「モンスーン前線」の出発点あたり)に上陸。そこからさらに、積乱雲の上昇気流が次々に生み出す別の積乱雲や周辺各地から呼び込んだ水蒸気で勢力を強めながら、はるばる日本列島まで至った!
以上が、「今年のモンスーン前線」についてのわたしの理解です。
ありきたりの感想ですが、自然現象には「国境」はないのだな、ということをつくづく思います。
それと、コロナ、バッタ、水害と、「続くときは続き」ますね!
次は?――気になります。
吉村 文成
インド西岸から日本列島まで右肩上がり・ほぼ一直線の前線が見て取れます。FBで友人が教えてくれました。「アジア・モンスーン前線」といえるものだが、こう一直線になるのは珍しい、と友人はコメントしていました。
ところで、この図を見れば分かることですが、今年の集中豪雨による大規模災害は、日本列島だけのことではありません。
九州大豪雨の一月前ごろから、インド北部(アッサム州)、バングラデシュ、ミャンマーなどから大規模水害のレポートが届くようになりました。中国・揚子江一帯でも、上流域から中流域へと洪水が広がり、「三峡ダム決壊・寸前」「決壊か?」といったニュースが繰り返し流れました。いまも、おさまったという報道はありません。
揚子江一帯では、「半世紀に一度の長雨」「上流からの水」「(1000以上の)個別ダムの放水」と悪条件が重なって、すでに2000万人以上が被災、さらに下流域の大都市への被害の拡大が懸念されている、ということです。
もうひとつ、一見まったく別件のようですが、昨年末、アフリカ北西部(ソマリア、エチオピア一帯)でイナゴが大発生した、という報道がありました。イナゴの大群はその後、イラン、パキスタン、インド北部、中国南西部と移動、いまは中国・四川省から湖南省あたりまで達し、猛威を振るっているということです。まさしく、「モンスーン前線」沿いの移動です。
西アフリカのバッタの大発生のときにいわれたのは、「インド洋ダイポールモード」といわれる現象です。ダイポールは「二つの極(双極)」という意味。インド洋が、海水温の比較的高い西側海域と比較的低い東側海域の二つの極(ダイポール)に分岐した。高水温の西側海域は、一種の熱源として多量の水蒸気(積乱雲)を発生させ、北西アフリカに大量の雨を降らせ、それがバッタの大発生につながった――という説明です。
この「インド洋ダイポールモード」の原因は、昨年夏、南半球インド洋で南東季節風が強かったため、温暖な表面水が東から西に運ばれたことだとみられています。南東季節風の強まりは、やはりオーストラリアの大規模森林火災が関係している可能性があります。
高温のインド洋北西部で発生する積乱雲の軍団は、(北半球の)北西季節風に乗せられ、インド西岸(まさに図に示された「モンスーン前線」の出発点あたり)に上陸。そこからさらに、積乱雲の上昇気流が次々に生み出す別の積乱雲や周辺各地から呼び込んだ水蒸気で勢力を強めながら、はるばる日本列島まで至った!
以上が、「今年のモンスーン前線」についてのわたしの理解です。
ありきたりの感想ですが、自然現象には「国境」はないのだな、ということをつくづく思います。
それと、コロナ、バッタ、水害と、「続くときは続き」ますね!
次は?――気になります。
吉村 文成
2020年07月09日
2020年07月02日
「不沈イージス艦」そして「不沈空母」列島?
毎月、第1木曜日のチャイハナ光が丘は、わたしの講義「世界はいま」です。2010年のチャイハナ開設以前の「NHKカルチャーセンター(光が丘)」から続く長期企画です。前月の国際ニュースを取り上げて、わたしなりに解釈してみます。
今日のその一つ。河野防衛相の「イージス・アショア断念」を取り上げました。
大臣は「ブースター(発射装置)が演習場外に落ちる可能性があるということを理由にしました。しかし、そんなの「口実」だろう、ほんとうにできるまでまだ10年以上、数千億円かかる。そんな「未完成品」を買っちゃった。国民の税を使う立場として、いくらなんでも、ひどすぎるという河野大臣の判断ではないだろうか――わたしの(いくらか好意的な)想像です。
そして、イージス・アショアとは何か?
わたしたちは日本防衛構想として話しています。しかし、アメリカから見ると、ミサイル攻撃から米本土を守る、最前線の『不沈イージス艦』として日本列島を使う話(米国際戦略問題研)です。だったら、「(日本としては)カネを払うどころか、カネをちゃんとはらってください」が正論ではないのか?
河野防衛相も、(口には出さないけれど)そのことに気づき、怒っているのではないか??
そこまでは、今日のセミナーで話しました。
セミナーが終った後で、ハッと気づきました。
それでは、米軍基地はどうなのだろう?
「日本防衛」ということは当然あるにしても、もうひとつ、米本土防衛のための「不沈空母」として日本列島を利用するということもある!?
もしそうなら、これも「列島使用料を寄こせ!」をちゃんといわなければおかしい??
――以上、(普段はそんなことは考えもしない)真正の「防衛問題・ド素人」の思い付きです。
ただ、官庁、メディア、業界といった「防衛プロ」たちは、もしかしたら、(ミサイルもサイバー攻撃もたいした問題ではなかった)60年前の「安保改定」のときの発想をベースに「現代の防衛」を考えているのではないだろうか?
これも。防衛問題・ド素人としての疑問です。
今日のその一つ。河野防衛相の「イージス・アショア断念」を取り上げました。
大臣は「ブースター(発射装置)が演習場外に落ちる可能性があるということを理由にしました。しかし、そんなの「口実」だろう、ほんとうにできるまでまだ10年以上、数千億円かかる。そんな「未完成品」を買っちゃった。国民の税を使う立場として、いくらなんでも、ひどすぎるという河野大臣の判断ではないだろうか――わたしの(いくらか好意的な)想像です。
そして、イージス・アショアとは何か?
わたしたちは日本防衛構想として話しています。しかし、アメリカから見ると、ミサイル攻撃から米本土を守る、最前線の『不沈イージス艦』として日本列島を使う話(米国際戦略問題研)です。だったら、「(日本としては)カネを払うどころか、カネをちゃんとはらってください」が正論ではないのか?
河野防衛相も、(口には出さないけれど)そのことに気づき、怒っているのではないか??
そこまでは、今日のセミナーで話しました。
セミナーが終った後で、ハッと気づきました。
それでは、米軍基地はどうなのだろう?
「日本防衛」ということは当然あるにしても、もうひとつ、米本土防衛のための「不沈空母」として日本列島を利用するということもある!?
もしそうなら、これも「列島使用料を寄こせ!」をちゃんといわなければおかしい??
――以上、(普段はそんなことは考えもしない)真正の「防衛問題・ド素人」の思い付きです。
ただ、官庁、メディア、業界といった「防衛プロ」たちは、もしかしたら、(ミサイルもサイバー攻撃もたいした問題ではなかった)60年前の「安保改定」のときの発想をベースに「現代の防衛」を考えているのではないだろうか?
これも。防衛問題・ド素人としての疑問です。
2020年06月29日
今日のわたし
2020年06月19日
練馬エッセイクラブ「エッセンシャル:ウイルス」
19日は、隔月で開催している練馬エッセイクラブの例会日です。
スカイプ参加を含め、興味深い集まりでした。
あたえられたテーマ(主題)は、「ウイルス」。
わたしの原稿を紹介します。
(ただし、提出原稿を若干修正しています)
吉村20年6月 テーマ「ウイルス」
「エッセンシャル」ウイルス 吉村 文成
四月中旬に一週間ほど入院した。時節がら「新型コロナ?」と心配されそうだが、そうではない。三年前との比較で心臓の肥大が分かったためだ。六本木にある、きれいな病院だった。
入院中ある種、感動したのは、掃除のおじさんの働きぶりだった。病床周辺は無論、トイレ、廊下…毎日まいにち、きちんと汚れを拭きとっている。
「エッセンシャル・ワーカー(欠かせない労働者)」――「コロナ騒ぎ」で知った、新しいことばである。平たくいえば、感染が広がるなかでも「休めない」労働者ということらしい。
「ああ、こういう人たちなのだな」と、その掃除のおじさんの仕事ぶりを見ながら、素直に思った。どちらかといえば、「影」の仕事だ。しかし、こういう人たちがいるから、社会は、なんとか回っている。
エッセンシャルの反対語は、「不要不急」だ。具体的には、コロナ騒ぎで「出社に及ばず」とされた会社員や、休業を余儀なくされた業種を指す。たしかに、喫茶店や飲み屋も、あるいは、プロ野球や大相撲も「あってもなくてもいい」感じがある。わたしの運営する小さなコミュニティカフェも、その一味だ。
そんなことを考えていたところに、フェイスブックで、若い友人がジャカルタから投稿しているのを見つけた。有名な楽器店の写真に、こんなコメントがついていた。
「一日も休みませんでした。音楽は欠かせません」
ガーンと頭を殴られたような気がした。
考えてみると、世の中に「不要不急」な仕事(職業)などあるわけがない。いろんな「仕事」があり、そのネットワークとして「社会」がある。甲乙なし、現実に「ある」というだけで、あらゆる仕事が「エッセンシャル」だと考えるべきだろう。仕事に限らない。世の中に「ある」ものはすべて、まさにその「ある」という理由によって「エッセンシャル」だといえる。無論、新型コロナウイルスも、その例外ではない。
たまたまなのだが、入院に際して、サルの研究で有名な動物学者・今西錦司の著書を持ち込んだ。こんな一節があった。
「(生物社会は)利用できるものは、遊ばせておかない。すべて利用する」
今西は、「棲み分け」という概念に立脚した、独自の進化論で知られる。ヒトは道具を使うことで多様な環境に適応したが、他の動物や植物は、自らの遺伝子を変えることで、新しい環境に適応する。それが、「新種」の誕生、つまり進化ということだ、と説く。無論、すでに数百万種類の動植物が先住している自然界だ。「新しい環境」といっても、せいぜいが「隙間=ニッチ」でしかない。
この考えを新型コロナウイルスに適用してみる。コウモリか何かを宿主としていたウイルスが、ヒトの細胞の中に「まだ遊んでいる隙間」をみつけ、自らの遺伝子を変えて棲みついた、ということになる。そんな「隙間」を提供したヒトの側にも、この新型が生まれた「原因」がなかった、とはいい切れないだろう。
人類社会は、繰り返し疫病の大流行を経験してきた。そして、そのたびに大きな「時代の転換」があった。見方を変えれば、行き詰った旧時代が疫病を呼び寄せ、新時代への転換をもたらした、と解することもできる。
新型コロナウイルスがわたしたちに封じたのは、「動くこと」と「集まること」である。ところが、わたしにいわせれば、この二つこそが、いまの人類社会の根本原理だ。「より速く、より遠く」、そして「より多く」を目指すことで、少なくとも現代文明は発展してきた。
ちょっと急ぎ過ぎたのではないか。がむしゃらに「動き(動かし)」「集まる(集める)」ことを目指してきた文明が行き詰り、ブレーキを求めた、ということも考えられるのではないか。
(35x49行=1715字)
スカイプ参加を含め、興味深い集まりでした。
あたえられたテーマ(主題)は、「ウイルス」。
わたしの原稿を紹介します。
(ただし、提出原稿を若干修正しています)
吉村20年6月 テーマ「ウイルス」
「エッセンシャル」ウイルス 吉村 文成
四月中旬に一週間ほど入院した。時節がら「新型コロナ?」と心配されそうだが、そうではない。三年前との比較で心臓の肥大が分かったためだ。六本木にある、きれいな病院だった。
入院中ある種、感動したのは、掃除のおじさんの働きぶりだった。病床周辺は無論、トイレ、廊下…毎日まいにち、きちんと汚れを拭きとっている。
「エッセンシャル・ワーカー(欠かせない労働者)」――「コロナ騒ぎ」で知った、新しいことばである。平たくいえば、感染が広がるなかでも「休めない」労働者ということらしい。
「ああ、こういう人たちなのだな」と、その掃除のおじさんの仕事ぶりを見ながら、素直に思った。どちらかといえば、「影」の仕事だ。しかし、こういう人たちがいるから、社会は、なんとか回っている。
エッセンシャルの反対語は、「不要不急」だ。具体的には、コロナ騒ぎで「出社に及ばず」とされた会社員や、休業を余儀なくされた業種を指す。たしかに、喫茶店や飲み屋も、あるいは、プロ野球や大相撲も「あってもなくてもいい」感じがある。わたしの運営する小さなコミュニティカフェも、その一味だ。
そんなことを考えていたところに、フェイスブックで、若い友人がジャカルタから投稿しているのを見つけた。有名な楽器店の写真に、こんなコメントがついていた。
「一日も休みませんでした。音楽は欠かせません」
ガーンと頭を殴られたような気がした。
考えてみると、世の中に「不要不急」な仕事(職業)などあるわけがない。いろんな「仕事」があり、そのネットワークとして「社会」がある。甲乙なし、現実に「ある」というだけで、あらゆる仕事が「エッセンシャル」だと考えるべきだろう。仕事に限らない。世の中に「ある」ものはすべて、まさにその「ある」という理由によって「エッセンシャル」だといえる。無論、新型コロナウイルスも、その例外ではない。
たまたまなのだが、入院に際して、サルの研究で有名な動物学者・今西錦司の著書を持ち込んだ。こんな一節があった。
「(生物社会は)利用できるものは、遊ばせておかない。すべて利用する」
今西は、「棲み分け」という概念に立脚した、独自の進化論で知られる。ヒトは道具を使うことで多様な環境に適応したが、他の動物や植物は、自らの遺伝子を変えることで、新しい環境に適応する。それが、「新種」の誕生、つまり進化ということだ、と説く。無論、すでに数百万種類の動植物が先住している自然界だ。「新しい環境」といっても、せいぜいが「隙間=ニッチ」でしかない。
この考えを新型コロナウイルスに適用してみる。コウモリか何かを宿主としていたウイルスが、ヒトの細胞の中に「まだ遊んでいる隙間」をみつけ、自らの遺伝子を変えて棲みついた、ということになる。そんな「隙間」を提供したヒトの側にも、この新型が生まれた「原因」がなかった、とはいい切れないだろう。
人類社会は、繰り返し疫病の大流行を経験してきた。そして、そのたびに大きな「時代の転換」があった。見方を変えれば、行き詰った旧時代が疫病を呼び寄せ、新時代への転換をもたらした、と解することもできる。
新型コロナウイルスがわたしたちに封じたのは、「動くこと」と「集まること」である。ところが、わたしにいわせれば、この二つこそが、いまの人類社会の根本原理だ。「より速く、より遠く」、そして「より多く」を目指すことで、少なくとも現代文明は発展してきた。
ちょっと急ぎ過ぎたのではないか。がむしゃらに「動き(動かし)」「集まる(集める)」ことを目指してきた文明が行き詰り、ブレーキを求めた、ということも考えられるのではないか。
(35x49行=1715字)
2020年06月18日
カール・マルクス「資本論」
緑陰音楽会2
美しい歌声が、練馬区田柄5丁目周辺に流れました。
新型コロナで4,5月と休んだ「チャイハナ歌声喫茶」
3カ月ぶりに、17日午後開催しました。
新型コロナを警戒して、庭が舞台。「緑陰音楽会」となりました。
(確信)気持ちいい歌ばっかり、苦情はありません。
(実は)冷や冷や!
コロナのおかげの新体験です。
緑陰音楽会の続きは、お客様による「フェイスガード実作講習会」です。
原価100円で、実際にできてしまいます。
市販のものだと500円です。
「飛沫を飛ばさない」=「(わたしが感染しても、あなたにはうつさない)」――そんな意思表明の道具??
「(わたしが感染しても)、あなたにはうつさない)」――腹をくくれば(?)、マスクよりずっと楽です。
新型コロナで4,5月と休んだ「チャイハナ歌声喫茶」
3カ月ぶりに、17日午後開催しました。
新型コロナを警戒して、庭が舞台。「緑陰音楽会」となりました。
(確信)気持ちいい歌ばっかり、苦情はありません。
(実は)冷や冷や!
コロナのおかげの新体験です。
緑陰音楽会の続きは、お客様による「フェイスガード実作講習会」です。
原価100円で、実際にできてしまいます。
市販のものだと500円です。
「飛沫を飛ばさない」=「(わたしが感染しても、あなたにはうつさない)」――そんな意思表明の道具??
「(わたしが感染しても)、あなたにはうつさない)」――腹をくくれば(?)、マスクよりずっと楽です。
緑陰音楽会
美しい歌声が、練馬区田柄5丁目周辺に流れました。
新型コロナで4,5月と休んだ「チャイハナ歌声喫茶」
3カ月ぶりに、17日午後開催しました。
新型コロナを警戒して、庭が舞台。「緑陰音楽会」となりました。
(確信)気持ちいい歌ばっかり、苦情はありません。
(実は)冷や冷や!
コロナのおかげの新体験です。
緑陰音楽会の続きは、お客様による「フェイスガード実作講習会」です。
原価100円で、実際にできてしまいます。
市販のものだと500円です。
「飛沫を飛ばさない」=「(わたしが感染しても)、あなたにはうつさない)」――そんな意思表明の道具??
「(わたしが感染しても)、あなたにはうつさない)」――腹をくくれば(?)、マスクよりずっと楽です。





新型コロナで4,5月と休んだ「チャイハナ歌声喫茶」
3カ月ぶりに、17日午後開催しました。
新型コロナを警戒して、庭が舞台。「緑陰音楽会」となりました。
(確信)気持ちいい歌ばっかり、苦情はありません。
(実は)冷や冷や!
コロナのおかげの新体験です。
緑陰音楽会の続きは、お客様による「フェイスガード実作講習会」です。
原価100円で、実際にできてしまいます。
市販のものだと500円です。
「飛沫を飛ばさない」=「(わたしが感染しても)、あなたにはうつさない)」――そんな意思表明の道具??
「(わたしが感染しても)、あなたにはうつさない)」――腹をくくれば(?)、マスクよりずっと楽です。