このブログはおもに3つのテーマがあり

@店長の前職(大学教授)時代の担当ゼミ生の『Yゼミ卒業論文集;先ごろ若者気質』
Aフィールドワークで地域の方々と資料をまとめた『瀬田国民学校 学級日誌』、
Bチャイハナの日々 です。
@ではありのままの若者像を、Aでは戦争の時代にあっても明るく過ごした子どもたちの様子を、Bではチャイハナの日々の様子をお伝えしています

2020年09月22日

映画の撮影

21日のチャイハナ光が丘は、映画の撮影舞台でした。
撮影2.JPG
「認知症が始まった母親(80歳)と、同居する息子(50歳)が繰り広げる悲喜劇」――介護する側と、介護される側と・・・だれもがきっと、身につまされる映画です。
 介護についての、ある種の「啓蒙映画」です。東京大学も関係していると聞きました。
チャイハナ光が丘がロケに選ばれたのは、「『古さ』が感じられるからです」とのこと。
ひらたくいえば、(80歳の老人が住むのにふさわしい)「古臭さ」!
でも、1カット撮り終えるごとに、モニターから顔をあげて、監督さんがおっしゃるのは、こういうことばでした。
「オーケー、いいです。美しい」
監督さん.JPG
無論、「美しい映像が撮れた」という意味です。
その「美しい!」に、きっと、チャイハナの「古臭さ」も貢献しているのだろう――と、わたしも満足です。
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2020年09月17日

URl修正投稿

先ほどお送りした動画の紹介は、URLが間違っていたことが分かりました。
URLを直した原稿をアップします。

わたしの登壇した、「第4回練馬つながるフェスタ・オンライン」(14日)の動画(ユーチューブ)ができてきたので、お知らせします。
https://youtu.be/V5bbzhemeEs です。
わたしの登壇部分だけですので、20分足らずです。
@ 「チャイハナ光が丘」の活動 
表紙.JPG
A その源流ともいえる、学生時代(京都大学探検部)の「探検」経験
源流.JPG
の2点を中心に話しました。
 興味を持っていただけるとありがたいと思います。
 わたしの発表とは別に、もう一つ、注目して欲しいことがあります。
 動画についている字幕です。
 音声認識技術と自動翻訳システムを組み合わせた、「リアルタイム字幕」です。
 まだまだ不完全な点は多いのですが、
(わたしのように)耳が遠くなりかけてきた者には、ありがたいし、日常生活でも、いろいろ、利用の道がありそうです。
 個人的には、音声認識システムがきちんと聴き取ってくれるような、しっかりした発声訓練の必要を痛感しました。
posted by chaihana at 12:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

訂正  YouTubeのURL https://youtu.be/V5bbzhemeEs になります。

<先ほどの「ズーム会議」URLの訂正です。

https://youtu.be/V5bbzhemeEs
です。
a href="http://chaihana.sakura.ne.jp/sblo_files/chaihana/image/E6BA90E6B581.JPG" target="_blank">源流.JPG
慌て者で済みません。
   吉村文成
posted by chaihana at 11:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

練馬つながるフェスタ・オンライン 登壇動画の紹介

わたしの登壇した、「第4回練馬つながるフェスタ・オンライン」(14日)の動画(ユーチューブ)ができてきたので、お知らせします。
 http://code4nerima.org/?p=643
わたしの登壇部分だけですので、20分足らずです。
@ 「チャイハナ光が丘」の活動 
表紙.JPG
A その源流ともいえる、学生時代(京都大学探検部)の「探検」経験
源流.JPG
の2点を中心に話しました。
 (いささか恥ずかしい発表なのですが、それでも)
 興味を持っていただけるとありがたいと思います。
 発表とは別に、もう一つ、注目して欲しいことがあります。
 動画についている字幕です。
 音声認識技術と自動翻訳システムを組み合わせた、「リアルタイム字幕」です。
 ご覧の通りで、まだまだ、極めて不完全といえますが、それでも・・・
(わたしのように)耳が遠くなりかけてきた者には、ありがたい仕組み。
 日常生活でも、いろいろ、利用の道がありそうです。
 個人的には、音声認識システムがきちんと聴き取ってくれるような、しっかりした発声の訓練の必要を痛感しました。
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2020年09月09日

ズーム会議登壇のこと14日夕

今度、練馬区関連のズーム会議に、登壇することになりました。
「第4回練馬つながるフェスタ・オンライン」
9月14日(月)午後7時からです。
 http://code4nerima.org/?p=643
わたしの登壇は2番目なので、午後7時20分ごろからです。
会議の趣旨は、区内のいろいろな民間団体の紹介、ということのようです。
わたしとしては、
@ チャイハナ光が丘の活動 
A わたしの学生時代(京都大学探検部)の「探検」経験
の2点を紹介してみよう、と思っています。
 学生時代のことは卒業後、あまり、口にしたことはありません。
今回、あえてそれを紹介するのは、チャイハナ光が丘を理解していただくうえで欠かせない、と考えたからです。
もし、興味のある方がいらっしゃれば、参加してみて下さい。
上記URLから参加できる、と聞いています。
          チャイハナ光が丘  吉村文成
つながるふぇすつぁ¥.JPG
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2020年08月11日

行き詰った習近平、「戦争」だって、という夏の夜の夢

「物凄いことになる! 中国・習近平体制の行き詰まりは、(日中)戦争を招くかもしれない」――そんなことを、わたしの国際ニュース解説「世界はいま」(6日)で話してしまいました。突飛な考えのようですが、わたしからみると、常識的に考えてあり得る見通しです。そのことを説明してみます。

 まず、「習近平政権が行き詰っている」という判断。
 新聞、テレビは「ますます安泰」と伝えているのですが、わたしには信じられません。
 理由の第一は、新型コロナ、長江流域一帯を始め全国各地の大洪水、蝗害(バッタ)、地震(唐山)・・・と災害が相次いでいることです。トランプ米大統領が仕掛けてくる経済制裁も、中国民衆からみれば、一種の災害でしょう。
 「どうして、こうも災害が続くのか?」――中国人なら、だれでも抱く疑問でしょう。
 「指導者が悪いからだ!」――この答も、ごく自然なものです。
 「災害は、天が不徳な為政者に下す罰である!」――「天譴論(てんけんろん)」といいますが、むかしからある考え方です。
では、どうして、そんな声が報道されないのか? 
これも、分かり切ったことです。
なにしろ、AIを駆使した、厳しい監視社会です。「災害は、駄目な指導者が招いた天罰だ」などと口走ったら、間違いなく監獄行きです。正面切って口に出せることではありません。しかし、こんな災害続きの中で、人々がなお「習近平・万歳」だと考えるのは、無理があり過ぎます。
「面従腹背」は、監視社会で生きる常識です。「話すこと」と「腹の中で思っていること」は全然違っているのが当たり前です。若い記者たちには、言質にいても、そのあたりのところが読みにくいのではないでしょうか?
庶民感情はしかし、体制にとっては、たいした問題ではありません。ほんとうに重要なのは、体制そのものを支えるエリートたちの動向です。これまた、庶民に輪をかけた「面従腹背」の塊です。「話すこと」と「思うこと」とは全然違うぐらいに考えるべきでしょう。
そのエリートたちが習近平支持でこり固まっているかどうか?
そんなことはあり得ない、というのがわたしの判断です。
「共産党一党支配」という統治の仕組みそのものが、一部のエリートの離反を内包しています。
共産党一党支配というのは、具体的には、共産党員というエリートが権力とそれに伴う利益(役得)を独占する仕組みです。その利益(役得)が家族や親族、友人などに分配されることで、広範な受益層が生まれます。一党支配の安泰を保証するのは、そんな受益層の広がりです。
重要なのは、権力と役得を約束する、「ポスト」です。「ポスト」がなければ、党員といえども、ただの人です。
したがって、「一党支配」政権は結局、政権党が、増加するエリートに対して十分なポストを供給できるかどうかにかかっている、ということになります。
ところが、これは「共産党支配」に限らず、古来のあらゆる専制国家についていえることなのですが、国が発展し、安定期にはいると、エリートの人数に比べてポストが不足してくる、そして、ついには衰退してゆく、というのが一般的な法則です。
共産党中国の場合ですと、1949年の建国からすでに70年余、改革開放が始まった1978年からでも40年以上が過ぎています。もうポスト不足の段階にはいっている、と考えてよいでしょう。
そうなると、ポストにつけない党員、あるいは、党員に匹敵する能力を自負する有資格者にしてみれば、体制そのものが癪のタネです。彼らのこころに「天譴論」が忍び込んでも不思議はありません。
なにかちょっとしたきっかけで、不満分子、不平分子として習近平政権に立ち向かう可能性を秘めています。
そんな官僚たちの不安を、「戦狼(wolf warrior)」と呼ばれる、中国外交官らの外交姿勢に感じました。
新型コロナ騒ぎ以来、中国に対する批判が各国で高まっていますが、それに対抗する中国・外交官らはまるで、任地国政府や国民に喧嘩でも売っているかのような激しさです。
どうして、そんなことをするのでしょう?
「外交」というより「内交」なのだと思います。
北京の中央政府に向けて、「ほら、わたしはいますよ。ちゃんと仕事していますよ」と、いわば「自分の存在証明」を送っているようなものです。
なぜ、そんなことをするのか?
北京政府が信じられなくなっているのではないでしょうか?
そうなると、外交官としての役割は犠牲にしても、「自分守り」にかけることになります。
「一党独裁」とは、「党」という私的(裏)組織の内部における上下関係が、決定的に重要な社会です。そこに生まれるのは、上位者の顔色ばかりうかがう典型的な「ヒラメ社会」です。
「上にはへつらい、下には威張る」――最近顕著な、中国当局の「空威張り」と「強権」もまた、習近平政権の方針というより、官僚たちの不安の表れのように思えます。
そんな官僚たちがいつ、どんなきっかけで手の平を返すか、知れたものではありません。
災害続きの世の中で、政権中枢にはさぞ不安なことでしょう。

次に、「日中戦争」の危機という問題に移ります。
 政権が必ずしも盤石ではない、人心が離れつつあると仮定すると、政権としては、人心を取り戻し、牽引力を回復する必要があります。
 どうすれば、そんなことが可能でしょう?
 手っ取り早いのは、力の誇示・・・具体的には「戦争」です。
 外国と実際に武力を交えるということになれば、人心は、賛否はどうであれ「敵対心」という一点でまとまり、高揚するでしょう。
 危ないのは、台湾、尖閣、南沙・・・そのいずれが狙われるだろう?
 そんなことを考えていました。
 そこに、「中国漁船数百隻が尖閣周辺海域に出漁してきそうだ」という産経新聞の報道(3日)です。
 「ああ、そうか、尖閣だったか」と思いました。
 考えてみると、習近平政権の立場から見て、尖閣ぐらい好都合な標的はありません。
 まず、相手側の日本は、その国民感情からして、武力で対抗してくることはないでしょう。せいぜいが、国際的な場で訴える程度のことです。対する中国政権としては、場合によっては戦争覚悟、いや、国民が高揚する分、ある程度武力を交えた方がありがたい、といったところでしょう。
 戦争をしたい側と、したくない(できない)側とでは、勝敗は、戦う前から分かっています。中国側としては、実質的な被害はまずないと見込めます。
 第二に、尖閣という舞台は、国民感情を掻き立てるのにぴったりです。
なにしろ相手は、日清戦争で台湾を奪った憎むべき侵略国です。いわば、かつての「屈辱」に「報復」を果たす――「中華民族の偉大なる復興」を歌い上げるのに、国民の喝采は確実でしょう。
 
 以上、コロナの最中の暑い夏の夜の悪夢で終わることを願っています。
 しかし、その一方で、尖閣に旗(標識)が立つ程度のことは覚悟しといた方がいい、という気持ちもあります。なにしろ「1992年領土法」は、尖閣も、西沙も、南沙も「中国の領土」と決めています。「決めたことは、(いつかそうなる)事実」というのは、彼の国の行動原理です。
posted by chaihana at 19:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

迫水秀樹ギター弾き語り

迫水秀樹さんのギター弾き語り「希望の指揮者がうたう夜」
昨夕でした。
グイグイ、グイグイ・・・力いっぱい歌い、奏でる。
リズムで引き込む。
迫水さんとフアンのお客様たちとの一体感。
正直、「生演奏って、いいな!」・・・こころから感動しました。
迫水と客.JPG無論、この時世です。暑さもあります。
迫水さんは譜面台に、飛沫防止の透明ファイルをかけています。
お客様は、マスク着用、間をあけて、客数制限といった制約はあります。
窓は開けはなって、換気を図りました。
そんな、いろいろ面倒なことはあっても、「生演奏って、いいな」
迫水さんとわざわざ集まっていただいたフアンのみなさま、ありがとうございました。
迫水コンサート.JPG
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2020年07月30日

バラの剪定

ごく小さな庭ですが、バラが一本、植わっています。
高さ2mぐらい。
ときおり、赤い、かわいい花を咲かせます。
もっとうまく、たくさん咲かせる方法はないだろうか?
今朝、ごみ捨てで一緒になった、隣の浜野医院の女医さんに尋ねました。
ーーすると・・・手袋、はさみ持参でお出でになって・・・、
きれいに剪定して下さったのです。
庭のバラ剪定.jpg
感激です。
秋のバラが、楽しみです。
posted by chaihana at 18:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

わたしの安保論

「世界はいま」と題して、月に一度(第1木曜)国際情勢の解説をしています。亭主が朝日新聞社で最後に在籍した朝日ニュースター(TV)以来ですから、30年以上続いてきたことになります。
今月初め、河野防衛大臣のイージスアショア撤退問題を取り上げました。
イージスアショアの日本配備について、アメリカで「最前線防衛陣」とでもいえそうな発想(国際戦略研)があることを知りました。「米本土を目指して飛んでくるミサイルを撃ち落とす前線基地」、という戦略です。
まるで、日本列島が米本土防衛のための「不沈空母」です。
イージスアショア撤退で、安倍政権から「敵基地攻撃論」が出てきました。イージスアショアがないと、敵の攻撃に対して丸裸。これは困る。ミサイルを撃ってくる敵の基地を攻撃するぐらいのことは(現憲法でも)できるだろう、ということのようです。
「敵基地攻撃」は、考えてみると、『敵軍』も狙うこと。仮にアメリカがどこかの国と戦争を始めたら、その「米軍基地」のある日本が標的とされるのは、当然でしょう。「平和憲法」で、拒絶できることではありません。
日米安保について、「片務性」が問題にされます。アメリカは日本防衛の義務を負うが、日本は(憲法により)アメリカ防衛の義務を負わない、これは不平等だ。だから、日本はアメリカ軍駐留経費を負担しろ、という議論です。
しかし、日本列島がもし、アメリカ本土防衛のための「不沈空母」の役割を果たしているとすると・・・、あるいは、「敵基地」の所在地として日本列島が第一撃を引き受けますということだとすると・・・話は、まったく変わってきます。
「片務性」でいえば、日本の方が圧倒的な加重負担です。日本はアメリカに対して「危険手当」、もっと露骨にいえば「標的・引受料」を要求すべきです。
――以上は、わたしの「世界はいま」の議論の一方です。
議論には、別の「一方」があります。
「中国という危険」が、現実に、東アジアには存在します。
 「強権」と「膨張」を生存原則として、生き延びてきた政権です。
 その魔手が伸びてくるのを防ぐ――極東の「平和維持」には、中国軍に対するバランサーとして、米軍の駐在は欠かせないように思えます。
 日本列島に現に米軍基地がある――これは、個々にどんな意見を持とうと、多数決原則にのっとっていえば、日本国民全体の選択です。
この選択が何を意味するか?
次の2点に要約できます。
@ 米軍優位による東アジアの「平和」維持(への願い)
A その「平和」が崩れ、万一、米国が関わる戦争が勃発した場合、列島が敵軍の「標的」とされ、焦土と化し、国民の相当数が「散華」する(可能性の覚悟)
つまり、「日米安保による平和維持」という選択は、(万一の場合の)大規模な犠牲の覚悟、という前提があって成立します。
考えてみると、ごく当たり前のことですね。
その当たり前を、日本国民一人ひとりにあらためて聞いてみたい気がします。
「あなたは、万一の場合の惨禍を、覚悟していますよね?!」
(念のため、わたし自身は、どちらかといえば「覚悟派」です。中国政権の強権体質の下で暮らすことを考えるなら、米軍の駐留による平和の方がましだろう、という判断です)
無論、だからといって、日本が、「危険手当」を放棄しなければならない、とは考えません。正当な要求は、当然、しなければなりません。
次回「世界はいま」は、8月6日(木)です。
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2020年07月23日

パッションフルーツ

本日(昨日?)のお客様
パッションフルーツ.jpg
奄美大島から届いたパッションフルーツです。
ピアノの指導も、ありました。
秋山ピアノ.jpg
昨日の「絢爛豪華」は、若干、減りました。
減った折り紙.jpg減った折り紙.jpg
制作者もきっと満足と思います。
posted by chaihana at 00:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記