「中国とは、何か?」
「人口8億の発展途上国と、人口6億の先進国が『一つになった』国」である。
――無論、仮説ですし、ひとつの見方に過ぎません。しかし、あの国を見るうえで有力な観点ではないか、と思います。
一昨日(3日)、「一笑会」という東京・練馬区のお年寄りたちの小さな集まりを対象に、中国」をひとつの主題としてお話させていただきました。
中国を「発展途上国と先進国の組み合わせ」とする見方は、このお話をする中で育ってきたものです。
「発展途上国」というのは、農村(正確には農民戸籍)のことです。
「九苦」という言葉が、中国にはあるといいます。
一苦・・党の支配や政府組織による搾取と収奪
二苦・・教育を受けるのが難しい
三苦・・移動や移住が難しい
四苦・・社会保障がない
五苦・・時代や世界に関する観念が欠落、変化についてゆけない
六苦・・資源の欠乏(?)
七苦・・地域間、同業間での意思疎通が難しい
八苦・・創業や貯金が難しい。地域によっては、電気や水道すらない
九苦・・つねに凌辱(侮り辱める。性的な意味も含む)されている悲哀
これが、あの、GNP世界第二位を誇る中国の話だというのです。
いったい誰のことをいっているのでしょう?
答は、農村戸籍の人々です。それが、「発展途上国」の住民です。
「農民工」という名称で都会に出て働いていた人々もいました。
コロナ騒ぎで仕事を失っても「失業者」には、数えられませんでした。
「農民」に戻った、と見なされたのです。
では、「先進国」は、どこにあるか? 誰が住んでいるか?
いうまでもありません。
「都市」にあります。住民は「都市戸籍」に属す人々です。
外国旅行や爆買いを楽しみ、ITを駆使し、都市生活を満喫しています。わたしたちの眼に入る中国人が、この人たちです。
そのうち約9000万人は(共産)党員です。特権と役得のうま味を享受しています。
彼らの家族や親せき、知人を「役得のおこぼれ利益層」とすると、4、5億人には達するでしょう。
そんな中国社会の構造を、図にしてみました。

8月の段階で考えていたのは、左図の「権力図」まで。9月になって、ようやく右側の(戸籍カースト制)に思い至ったという、わたしの考えの過程も示しています。
さて、ここで注目して欲しいのは、右図・最下段(農民戸籍・層)の中の「着色した逆三角形」です。「分配される富」を表している、と考えて下さい。
人口に応じて「平等に」分配されるなら、最下段すべて着色できるはずです。しかし、そこに割り当てられる富が少ない(この図では人口比の三分の一、実際はもっとわずかでしょう)から、一人ひとりに行き当たる富も少なくなります。
では、その「減らされた」富は、どこに行くか?
これも、いうまでもありません。
党という管理機構や都市戸籍人口の手に渡ります。
さらにいえば、農産物や工業製品といった現実の社会的富(財)を生んでいるのは、農民や工場で働く労働者の勤労です。その勤労の成果のほとんどが、管理機構(党)や都市戸籍人口に巻き上げられています。
「都市戸籍・国家(先進国)」だけで人口6億。「農村戸籍・国家(発展途上国)」は人口8億――いずれをとっても、とんでもない『超大国』です。
その一方が、他方を徹底的に絞り上げる。搾取する。繁栄を謳歌する。そして、もう一方は、「九苦」の暮らしに閉じ込められ、絶望感に打ちひしがれている。そんな二つの「超大国」の組み合わせ―-それが、現実の中国という国の姿ではないでしょうか?
そして、習近平・共産党が現実に追及しているのは、この「途上国」と「先進国」に分かれた仕組みを(改めるのではなく)維持し、温存することなのではないでしょうか?
なぜなら、この仕組みこそが、彼らの「権力と役得、そして安定」の源泉だからです。
そのように考えると、中国共産党の昨今の強権も、「途上国」の拡大を図る膨張主義も、あるいは、「人民解放軍」を党が絶対に手放そうとしないことも、理解できるように思います。
一点つけ加えておきます。
見落としたくないことですが、上記の見方は、わたしたち日本人にも関係します。
たとえば、安い中国製品が手に入るということは、実際には、わたしたちが中国の「発展途上国」住民から搾取している、というのと同じことです。
「発展途上国」と「先進国」に分断された、あの国の仕組みは、わたしたちにもまた都合よいようにできている、といえるのかもしれません。