このブログはおもに3つのテーマがあり

@店長の前職(大学教授)時代の担当ゼミ生の『Yゼミ卒業論文集;先ごろ若者気質』
Aフィールドワークで地域の方々と資料をまとめた『瀬田国民学校 学級日誌』、
Bチャイハナの日々 です。
@ではありのままの若者像を、Aでは戦争の時代にあっても明るく過ごした子どもたちの様子を、Bではチャイハナの日々の様子をお伝えしています

2019年01月19日

年頭所感「格差ということ」

(この正月は、年賀状を出しそびれてしまいました。代わりに「あいさつ状」をまとめました。78歳、このごろ思うことの一端です。加齢とともに過激になる自分を意識します。きっと、チャイハナというささやかな会合の場で、お客様がそのように育てて下さっているのだろうと思います。以下)
わたしたちはいま、どのような時代に生きているのか?
チャイハナ光が丘 吉村文成
いきなりですが、パワーポイントの画像を紹介します。
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1月10日の「世界はいま」用に用意した画像の中の1枚です。
(メールでは送れないようです。だから、この部分は抜きということもあります。我慢してください)

想像して欲しいのは、 百万円の札束です。厚さ1pぐらいです。
すると10万円は1o、1千万円は10pです。1億円は1m、10億円は10mになります。
これをそのまま階層とします。3つの階層が見えてきます。
@ ミリ・センチ族――せいぜい10万円、100万円、あるいは数千万円(数十センチ)で、「これは大金だ」と緊張する人々です。いってみれば、庶民。世界が平和なら、つまり「日々是無事」ならシアワセです。
A メートル族――投資家あるいは経営者か、それに近い人たち。できることなら、次の10mクラブに加入したいと願っています。
B 10mクラブ――10億円超の資産を普通のことに思う人たち。日産・ゴーンの登場で具体的なイメージが浮かんできました。世界的な大金持ち。結構ケチです。国家とは関係なしに働き、暮らし、税を納めています。「クラブ」としたのは、ミリ族との関係が、ゴルフのクラブメンバーとキャディの関係に似ているように思えたからです。
(以上の分類は、「格差」ということを理解する工夫と思ってください。こういう格差は、平安朝の昔にもあったことだろうとは思います。しかし、それでも1oの札束と10mとの違いは、きちんと認識したいと思います)
さて、無駄口はやめて、これらの階層と経済政策ということで考えてみます。日本を含めどの国でも、政府や経済学者、マスコミが鼓舞するのは、Aのメートル族です。彼らの勃興こそが経済成長だと思っているからです。
しかし、現実の彼らの大多数にとって、直近の勝利(儲け)の方程式は、「合理化」、つまり「首切りと賃下げ」です。ゴーンが日産で使った手です。
 それはしかし、ミリ・センチ族からみると、いじめです。地獄です。定職すら奪われ、不定期で安定しない仕事と生活を強いられる。現実に、限りなく「ミリ族」に近づく、旧来のセンチ族が増えています。
大切なことですが、その状態で、子どもを産み、育てる余裕、モノを買う余力はもてません。こういうミリ・センチ族が人口の大多数であることを考えるなら、社会としての需要不足、そして成長の鈍化は当たり前のことです。
 他方で、10mクラブはますます肥え太り、支配力を強めています。
おカネには、おカネをさらに集め、権力も付随してついてく性質があるからです。はっきりとは見えない。しかし、政治家と官僚、そしてほとんどの経済専門家は従者です。
それが、世界的な規模で広がっている「格差拡大時代」ということのように思えます。すでに始まった「未来」です。
こうした「未来」を強く感じるようになったきっかけがあります。昨年暮れの「入管法改正」(18年12月8日)です。
この改正で開かれたのは、「外国人労働者の導入」です。(このごろは「外国人人材」と置き換えられています。あほくさ)。
 ほぼ100年前、日本はまったく同様の決断をしています。
1917年ごろでした。日本はやはり人手不足で困っていました。とくに苦しんだのが、北海道の炭鉱です。1905年に植民地にしたばかりの朝鮮半島から特例として炭鉱労働者の導入が始まります。それはやがて、いろいろな業界に広がり、その結果は、100年後のいま、徴用工問題などとしてわたしたちが受け継いでいます。
 いったい、なぜまた「100年前の愚」を繰り返そうとしているのか?
 根本的な理由として、「少子化」がいわれます。日本人が子どもを産まなくなった。人口が増えない。だから・・・というのです。
しかし、もしほんとうにそれが理由なら、対策は簡単です。「少子化」を「多子化」に切り替える。政治が「結婚、出産、子育て」を支援し、社会的ムードが「結婚しよう、子どもを産もう」という方向に切り変わる――。
もうひとつ、「人手不足」も理由としていわれます。日本中の話ではありません。政府は14の業種を指定しました。それらの業種の問題です。
なぜ、これらの業種に限って「ヒトが集まらない」のか?
待遇が不十分だからです。仕事は厳しい。収入は低い。だれも、そんなところで働きたくない。
 明解な解決策。それは、待遇を改めることです。せめて、仕事相応に給与をはずむ!
それをさせるのが、政治の役割でしょう。
最低賃金を引き上げるとか、いろいろな方法があるはずです。
しかし、いまの日本では、それはできまません。
政治に、その意思がないからです。
なぜ、政治は、ミリ・センチ族の待遇改善に、あるいは、格差の縮小の方向に舵を切らないのか?
だれが政治を動かすか?
そのことを考えてみます。ごく一部の限られた集団です。
<カネ出す、票出す、ヒト入れる>集団、です。
政治を動かすのは、結局、カネと票です。そして、こういう政策を実現して欲しいという意思をたまたま持っているグループ。それが、14業種ということでしょう。
「ヒト入れる」というのは、公務員を受け入れるということです。
無論、業界として直接、公務員の古手を雇用するというのではありません。外国人労働者の導入が本格化すれば、必ずできる職場があります。その管理、監督、指導などに当たる第3セクターです。「官」の関連職場の肥大が見込めます。
政治家と公務員が本気になれば、その政策は必ず実現します。
しかし、それだけでしょうか?
この問題に、さらに大きなバックが見えるような気がします。
10mクラブの意思です。
社会の最底辺――ミリ族の給与引き上げは必ず、あらゆる職種、業界に広がります。10mクラブの取り分の縮小につながるでしょう。
 そんなことは許さない。ミリ・センチ族は、地位(収入)をわきまえてつつましく暮らせ――そんな10mクラブの「声」ともいえない静かな声が、どこからともなく聞こえてくるような気がします。
 フランス人は黄色いジャケットを着て頑張っています。
 日本人はどうなのでしょう?
                    (とりあえず「完」とします)

(以下は、わたしの「独り言」です。どこかに残しておくことにしよう)
加齢とともに過激になる。この小文を打ち込みながら、そんなことを思いました。
わたしの提示した未来を、「暗い」と受け取った方もいらっしゃると思います。
 しかし、わたし自身は、そうは思っていません。意外に楽観的です。
 大切なのは「票出す」に、わたし自身が加わることです。
 あなたにも、多くの子どもたちにも、そうして欲しいと思っています。
 どうこういっても、民主主義です。
 考えて、考えて、考え抜く。
 そして、「票」に結実させる。
 それが失敗であっても、我慢して受け入れる。
 そういうことが、民主主義だろうと思います。
 
(もう1段前の独り言、世情を見ながら、わたしがそういうことなのだろうかと思ったことのメモです)  
@ 「尊机蔑現」――机業を尊重し、現業を蔑視する――教育、給与その他の待遇、なにより社会通念・・・
これははっきり、逆転させる必要があります。机業は大半が、AIに乗っ取られる可能性があります。生きた人間が必要なのは、時々刻々、変化する状況に対応しなければならない現業です。
Aどうして、<カネ出す、票出す、ヒト入れる>の民主主義になってしまったか?
答は、明解です。
わたしたちの「おまかせ」が、原因です。愚痴はいっても、投票に行かない。戦後73年をかけて育てた、わたしたちの民主主義とはその程度のものだった。
――次は「危ない」意見です。叩かれそうですが・・・(?)
B (戦後の)思想的ミスリード
「マイノリティの権力化と大黒柱の喪失」
「戦後」とは、ある意味、「戦前」あるいは「戦中」の否定で成り立った時代です。「軍国主義」一本槍だった戦中に対して、戦後は「多様な生き方」が尊重されました。それが、マイノリティの肯定と、彼らの(思想的)主流化という流れにつながります。
 しかし、一家に大黒柱が必要なように、社会にも、しっかりしたマジョリティ(大黒柱)が必要なのではないでしょうか。わたし流に言えば「日本を日本たらしめた」大黒柱です。山本周五郎や山手樹一郎といった作家たちが描いた「おとこたち」――生きることの悲しみを自覚しながら、ひたすら我慢し、なお敢然と人生に立ち向かう「おとこたち」――です。
 マイノリティは、そういう大黒柱があってこその存在です。その大黒柱が、いま。日本の社会から消えて行っていないでしょうか?
 そんなことを考えるようになったきっかけは、アメリカの中間選挙(18年10月10日)です。共和党はトランプ党に変わり、民主党は、女性や同性愛者、中東移民などを表看板にするマイノリティ政党に変質していました。
 かつてアメリカの魅力をかたちづくっていた、ヘミングウェイやスタインベックの「アメリカ人」がどこにもいなくなった。そんな感じがしたのです。
 同じことが、日本やその他の国々でも起こっているのではないでしょうか?
 (この部分、メモだから、脈絡はありません。我慢してください)
 以上、実は、1月10日の「世界は今」でお話しようと思っていることの一部です。
 歳をとって、過激になっていく感じがあります。自分では、「透明に」と思っています。
 (遅れましたが)2019年も、どうか、よろしくお願いします。

                 179-0073
                 東京都練馬区田柄5-14-19
                  チャイハナ光が丘 吉村文成

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2019年01月13日

新聞の未来 の未来 新聞の未来

17日(木)のチャイハナトークは、「新聞の未来」です。
ASA光が丘公園店の山口英司所長に来ていただきます。
(ただの)新聞販売店ではありません
『地域活性化会社』です。
会社案内「株式会社NHC」のHPをみて気づきました。代表挨拶を紹介します。
「私たちのミッションは、『困った時に思い出して頂き、相談される存在となる!』こと、そして『好きなこと・得意なことで人の役に立ち、仕事&人生共に愉しむ!』です。今後も私たちの活動にご期待下さい。」
(便利屋さん、といったらしかられるでしょうか? うちも大型テレビモニターの移動をお願いしたことがあります)
(誤解かもしれないけれど、光が丘周辺のASAはどんどん買収して翼を広げていらっしゃるようです。企業経営ということを考えれば、それなりのスケールは必要なのだと思います)
新聞という産業。記者が(得意げに)政治家や官僚と接触して記事を書いても、実は、その記事が読者に届いてなんぼ、が現実です。(正直、新聞に書かれている記事のなかに「なんぼ」といえる記事はめったにない。しかし、そういう記事こそが、マスコミと呼ばれる産業の存在理由だろう。わたしの私見です)
その「届いてなんぼ」の末端にあるのが販売店。
そこから見た新聞産業、そして、その未来とは?
「そんなこと、分かりません。しかし、販売店としてどう生きていくかということならーー」 しばらく前、山口社長においで願ったときの返事です。
それこそ、「新聞の未来」だろうと思います。
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2018年12月25日

「青い山脈」

1918年12月25日のクリスマス。
「チャイハナ光が丘」はお休み。
文京区のアカデミー向ヶ丘で開かれた、ある「歌う会」に出席しました。
最後にみんなで歌ったのが、藤山一郎の「青い山脈」。
 「若く明るい歌声に 雪崩は消える 花も咲く・・・」
石坂洋次郎の小説(1947)をもとに、1949年に発表された日活映画の主題歌です。
吉永小百合が出演しています。
曲にも歌詞にも、強く感じたのは、戦後という時代の、意外なほどの明るさ、希望でした。
まぶしいような思いがありました。
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2018年12月17日

夫婦(伴侶)と近隣国

毎月第三日曜のチャイハナは「季語研究会」の貸し切りです。
 連句をつくります。
 575,77,575・・・と付けてゆく、
単純な「ことば遊び(失礼)」のようで、次々に新しい世界が開けてゆく面白さがあります。
18年最後の今回(16日)は、ちょっと趣向が違いました。
一種の品評会です。
あらかじめ決められた課題をもとに各人が句を提出し、作者名を隠したまま投票で優劣(?)を決めます。
今回は、川柳界の同人も参加して、俳句と川柳でやりました。
課題は、「空っ風」と「共存」
全体のことをいう力は、わたしにはありません。
だから、私の提出した作品を紹介します。
●「空っ風」
俳句 アイラブユー ふとつぶやいて 空っ風・・・・・@
――(個人的)サブタイトルは「別離」です。家内と離れて暮らした最近しばしばあったことです。(なお、今回の句作については、まったく個人的にですが、「夫婦」を意識してみました)
川柳 半世紀 思ってきたのに 空っ風・・・・A
――潜在意識は「夫婦」です。つくってみて、裏タイトル「中国」でもいいなと思いました。
●「共存」
俳句 活けた花 直されてみて 違い知る・・・・B
――夫婦は男と女の「共存」です。
似た体験は、だれにもあると思います。
川柳 雑草も 根を張っている 一つ鉢     C
――これが、わたしの出品の中では、一番高得点でした。
庭をいじっていて思ったことです。
  鉢の中だけど、家族、サークル、国、世界(地球)・・・あらゆる人間集団(共存)にあることだと思います。そして、自分は雑草ではないという思いも・・。
もうひとつ、自己評価で次点ということで出品しなかったけれど、ちょっと惜しい作品があります。「共存」の川柳です。
欠点も いつか直ると 半世紀        D
――もちろん、潜在意識は「夫婦」のことです。
でも、サブタイトル「中国」でも通じそうです。
●というようなことで、今回の季語研究会における大発見――「夫婦」あるいは長年連れ添った「伴侶」というのは、中国のようなものだな、あるいは、その逆――中国や韓国といった近隣国は、日本にとっては、長年連れ添った伴侶のようなものなのだな、ということ。
そう考えると、いろいろあるのが当たり前、あまりカッカしないのが原則ですね。
(なお、俳句にも川柳にもサブタイトルというのはありません。それが分かるようにつくるのが技量というものだ、と教わりました)
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2018年12月13日

朝日新聞 峯村健司記者の講演

いささか古い話ですが・・・。1週間前、先週の金曜日(7日)夜のことです。朝日新聞外報部の峯村健司記者の話を聞く機会がありました。北京支局、ワシントン支局と勤めてきた(多分)エースです。興味深かったので、報告します。

 舞台は、出版社「めこん」の主催した講演会です。といっても、客は10人ぐらいの質素な会合です。質疑ができます。
 「めこん」は、実は、わたしのインド取材報告「インド同時代」(1985)を出版してくれた会社です。アフリカ報道の伊藤正孝さんの紹介でした。
 峯村さんのテーマは、まさに、今問題の米中貿易戦争でした。
●アメリカでいま渦巻いている思い。
 「パンダの失望」「ドラゴンの怒り」――だそうです。
 パンダは、対中融和派です。「助けてあげて豊かになれば、やがて普通の民主国家になる」。いま、完全に裏切られたと感じています。
 ドラゴンは強硬派です。「一帯一路」? NGO取り締まり? 国家主席任期制廃止? なんだ? いったい。専制強権国家そのものじゃないか?能力
●中国側の思い違い
 トランプについて・・・彼を押さえればいいと思い込んだ。これは、対中強硬派、議会、ホワイトハウスの軽視。アメリカはそれほど単純ではない。
●このごろの、中国内の動き
@「墨汁かけ」事件(7月、上海で28歳の女性が習近平の写真に墨汁をかけ、自撮り写真をアップした) A党OBらによる習近平批判書の作成・流通(7月?) B(習近平新聞)といわれる「人民日報」1面から数日、習近平の名前が消えた(6、7月ごろ?)・・・ということで、必ずしも安定していない。
ただし、非公式の北載河会議(8月上旬)から、こういう動きは完全に抑え込まれている――。
●米中貿易戦争の見通し
 悲観論(決裂、衝突)、楽観論(結局落ち着く)とある。
峯村は、悲観、楽観の中間論、つまり、対立がだらだら続く。
●日本はどうなる?
 @日米安保はどこまで有効か?
  問題は、アメリカがどこまで頼りになるか?です。トランプがコロッと立場を変える(中国に寄り添う)こともあり得ます
 A北東アジアでの孤立化は避けるべきだ。
 B米中の間で「踏み絵」を踏まされるかもしれない。
 Cもし、貿易戦争が激化すれば・・・株価暴落、資本流出?
●質疑@中国は「日本が組める相手」と思うか?
 峯村(言下に)「組める相手ではありません」
●質疑A北東アジアで孤立化を避けるとはどういうことか? 中国と組めない、韓国の文在寅もあてにならない。
 峯村「中国とは組めない。アメリカは頼りにならない。だから、その他の国々といい関係を結んでおくことが大切だ」
●質疑B「組めない」ということになると、中国とはいずれ対立する。そのときの保険だね?
 峯村「そうだ」
●質疑C米中貿易戦争の話が中心だったが、もう少しスパンを広げる。米国、中国はこれからどうなるのか? あなたの考えを知りたい。
 峯村「分かりやすい方から・・・。覇権国家アメリカは、今現在、もう存在しない。この動きはオバマからだ。オバマの弱気が、たとえば中国の南シナ海進出を許した。仕上げはトランプだ。共和党のまともな部分を追い出して、トランプ党にしてしまった」
「中国は、習近平の統治が崩れる時が問題だ。革命の第3世代のストーリーがつくれるかどうか?」
●質疑Dスタインベックとかサリンジャーとか・・・正義を追い力強さもある、そういう古き良きアメリカはどうなったのだろう?
 峯村「いまは、存在しない。共和党はトランプ党。民主党はマイノリティ党(これは、質問者の分析)。(政治的空間に関する限り)両端だけで、中間がなくなった」
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2018年12月02日

尺八 恋のトリック

 皆さんの生き生きとした瞳、瞳――みて下さい。
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大成功でした。
 昨日(12月1日の<唄と尺八『Emme x 小濱明人 DUO Live』>
 Emme(エメ)さんは、チャイハナのボイストレーニングの先生。
小濱明人さんは、そのご主人です。
 初めは、静かに、深く、明人さんの尺八独奏。
 そして、やがて、2人の共演。
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 熊本民謡「おてもやん」に、みんなのかけ声と手拍子を入れながら、終わりました。
 お二人のコンサートは、チャイハナでは5年か6年ぶり。
 そして、意外に、「ここぐらいしかやってない」ようです。


 たまたまなのですが、壁面に「自由律俳句」が展示されています。
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 「囀り(さえずり)フルートは 恋の手管の 彩もよう」
 「Twittering flute; a colorful variety of love tricks 」
神田九十九(かんだ・くじゅうく)さん(95)の作品です。
     体の不自由な九十九さん、お会いしたことはありません。
介護している娘の永野寿子さんが持って来て下さったものです。
 話がそれました。

 でも、明人さんが吹き、なかば踊るようにエメさんが歌う――
 尺八は、虚無僧だけのものではない!
 「ラブ・トリック」をすら語れる音色なのだ!
 強く、ほんとうに強く、そう思いました。
 ちなみに、尺八の英語は、bamboo flute(竹のフルート)です。
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 台湾からのお客さまもいらっしゃいました。
 若くて陽気なお嬢さんです。
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 エメさんご夫婦と台湾旅行でたまたま出会ったといいます。
 それで、公演のことを知ってやってきた、ということのようです。
大きな旅行用トランクを提げていました。
 「仕事を」というより「どう生きるか」という人生を探して、旅に出たようです。
 台湾の、意外な「若さ」を感じました。

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2018年11月24日

メートル族 センチ族 ミリ族

 「男と女(性別)、日本人と中国人(国籍)、白人と黒人(人種)、資本家と労働者(経済学)・・・人間の分け方はいろいろある。メートル族とセンチ族、というのもあっていいね」
 「巨人と小人? まさか???」
 「このごろ、1億円だの10億円だの、億単位の金の話が次々に出てくる」
「それで?」
「百万円は、一束でほぼ1センチ。一千万円でも10センチだ。1億円はその10倍だから1メートル、10億円だと10メートルだ。数センチの稼ぎと、数メートルの稼ぎとでは、暮らしも気分も違う」
 「 ゴーン前会長(日産)のことか?」
 「(年間で)20mの1万円札の山から半分の10mをネコババ・・・!」
 「8年間では、160mの山から80m。凄い話だ」
 「カネはカネを生む。金持ちは、どんどんカネを増やす」
「権力もカネについてくる。そして、権力には、カネもついてくる」
 「そういえば、習近平の一族も大金持ちらしい」
 「奈良朝や平安朝がそうだ。寝殿作りの宮廷で和歌を詠んでいるのが、メートル族だ。下々は粗衣粗食で田んぼを耕している」
 「宮廷のサーバントもそうだな。それが、センチ族」
 「北朝鮮もそういうことだろう。下々を雑巾みたいに絞って・・・」
 「ビルも建つ。核も持てる」

――話が、昨今の日本に移りました。
 「入管法改正案ね。『ヒトが足りない』というけど、あれは、ウソだね」
「???」
「いくらでもいるよ。失業者だらけだ。この国は」
「???」
「給料は安い、労働時間は長い・・・条件がひどいから働けない、それだけのことだ」
 「そういえば、ああいう業界は、就職しても辞めていく人が多いらしい」
 「人が雇えないのは、ブラック業界だからですよ。そっちを直さないで、外国から連れてくる――それは、だめです」
 「そうか、ブラック業界救済法案なんだ」
 「いま、経営者が集まると、決まって出る話がある。『稼ぎは簡単に出せる。給料を削ればいい』。簡単にいえば、首切りだ」
 「企業業績は、過去最高とか・・・」
 「ヒトを削る、それで、雑巾のように従業員を絞る・・・それで出た業績だ。企業努力なんてないね」

 「ところで、日本が失業者だらけ?」
 「そうだろ、派遣は実は、『失業者』だよ。身に付く技術はない。いつ、辞めさせられるか分からない。ごく一部の専門職を別にすれば、派遣を続けたいと思っている子はいないね」
 「給料は、どうなの?」
 「センチどころか、ミリだね」
 「メートル族、センチ族、そして、とうとうミリ族?」
 「そう、ミリ族」
 ――以上、昨日見えたお客様(男性、わたしとほぼ同年齢)との会話のごく一部です。
極めて少数が(ゴーン前日産会長よろしく首切りや労働強化で)メートル族を目指し、その一方で、ミリ族がどんどん増えてゆく――それが、昨今の日本のようです。
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2018年11月11日

臨時休業11月11日

チャイハナ光が丘は本日(11月11日)臨時休業します。
ご不便をおかけしますが、お許しください。
なお、明日(月曜)は、定休日です。
よろしくお願いします。
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チャイハナトーク「戦後を語る」

11月10日、チャイハナトーク「戦後を語る」
まず、ドキュメンタリーを見ました。
「駅の子」つまり戦災浮浪児についてのドキュメンタリーです。
ショックでした。
両親がいて、クラス仲間がいて・・・の田舎のこどもとは別世界です。
しかし、もし、米軍機が飛んできて、爆弾を落としたら、
そして、家がなくなり、両親も死んでしまったら・・・
あのころ、どの子だってあった可能性です。
「運」ということを思いました。
ちょっとした「運」の違い、
そのことで、同情される側と同情する側、に分かれてしまう現実。
越えたいけど、越えられない。
登場した戦災孤児たちが、一様に繰り返した言葉があります。
「人間は、冷たい」
ふと、思いました。
(「自分」が生きなければならない)生き物の本能なのかもしれない――!
庭の雑草たちにも共通しているような感じが、(まったく)ふと・・・。
つらい、感覚です。

 いらっしゃって下さった方々のなかに、
電話で頼んだのですが、中学時代の友人がいました。
人生について、未来について、(道端で)延々と話していた時代、を思い出します。
その彼は、いわゆる引き揚げ者です。
こんな話をしました。
終戦のとき、新京(満州)にいました。
ソ連兵がやってきました。
家の中まで入ってきました。
弟(4歳)がはめていた腕時計をソ連兵は奪おうとしました。
弟は、その腕にかみつきました。
すると、ソ連兵はピストルを抜き、
弟の額を撃ち抜きました。
額の傷は小さい、しかし、後頭部の傷は大きく、
脳みそが飛び出していた。
中学時代、あれだけ話し込んだのに、初めて聞く話です。

友人はいいました。
「70歳になったとき、家族に話そうと思った。家族以外に話すのは、今日が初めてだ」

言葉がありません。
一人ひとりの人間の奥深さ。
(と、締めくくっても間違っている、これは、明確な感覚)
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2018年11月03日

チャイハナトーク「戦後を語る」

みんなでトーク「戦後を語る」
 11月10日(土)午後2時〜4時 於 チャイハナ光が丘
 そんな集まりを開催します。
 前にこんな集まりを開きました、9月15日でした。
 「戦争の時代――子供の暮らし」をテーマに話し合いました。
 そのとき、話がまとまりました。
「次は戦後」について話そう。
 疎開、引き揚げ、戦災孤児、その他いろいろ・・・わたしたちの多くが子どもとして体験したこと――本当に、いろいろとあります。
 あれは、何だったのか? いや、その体験そのもの――自分ではない、同時代のこどもの体験とは、どのようなものだったのか?
 自分を、他人にしてしまう。他人を、自分として感じる。
そして、「時代」を考えてみたい――この集まりについての、わたしの思いです。
会員の一人、野澤節郎さんの作成した資料の一部を紹介します。
宮城まり子.docx宮城まり子.docx
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2018年10月21日

アフガン バスの旅

  (テーマ 外国人)
  アフガン バスの旅        吉村 文成

 一生に一度のことだ。「社長」をしたことがある。プレジデントである。
 わたしは、かつて新聞記者をしていた。「インド・ニューデリー駐在」という辞令を受け取ったのは、一九七九年の暮れ近くだったと思う。その直後、一二月二十七日にソ連軍がアフガニスタンに侵攻した。
 アフガニスタンは、ニューデリー支局の受け持ちである。つまり、戦争取材がわたしの受け持ちになったということだ。
 ビザの取得などに日数を取られて、実際にニューデリーに入ったのは、八〇年三月だった。
取材は、現場だ。アフガニスタン入りは、当然の課題である。しかし、いろいろ聞いてみると、正面から新聞記者を名乗って取材ビザを申請しても、とうていうまく行きそうにない。そこで、一計を案じた。
商社マンになろう。アフガニスタンは、ラピスラズリつまり「瑠璃」をはじめとする、さまざまな貴金属の産地で知られる。その買い付けだ。アフガニスタン当局だって、儲かる話なら、ビザOKということもあり得るだろう。
「ヨシムラ・トレーディング・カンパニー・プレジデント」という名刺をつくった。文字通り、名刺だけだ。
だが、効いた。
 首都カブールに入ったのは、六月だった。一人、ことばもできず、文字も読めない世界。それでも、人々の日常を知りたい。空気を感じたい。それが、課題だ。
繁華街、市場、大学・・・歩いて行ける範囲は、歩いた。市街バスにも乘った。タクシーも使った。
 カブールはともあれ観察できたとして、地方の様子はどうなのだろう?
 思いついたのは、長距離バスに乗ることだ。発着所が一カ所に集約されている。ちょっと冒険だが、終点まで往復すれば、それなりに地方の様子も見られるだろう。
そんなバスの旅を何度か繰り返した。あるとき、検問のソ連兵にバスが停められた。全員が降ろされる。そして、バスに戻るときだ。わたしだけ、乗車を止められた。事情も何も、さっぱり分からない。
 ソ連兵というが、紅顔の美少年である。まだ十代だろう。それが、美々しい軍装を身に着け、小銃を両手で水平に提げている。その美しさが、妙な確信を生んだ。
 「この子は、わたしを殺さない!」
 バスの乗客が騒ぎ出した。運転手は警笛を鳴らす。遅れて日暮れてからの運航になったら、大変なことだ。美少年の顔に、明瞭に困惑が現われた。両手で下げた小銃をチラと動かした。それが、「バスに戻ってよい」という合図だった。
 バスに戻ると、大きな拍手が待っていた。
 日本人のわたし、ソ連人の美少年、アフガン人の乗客たち――みんな、それぞれに外国人だ。そして、そのことで、同じ場面に居合わせながら、遭遇する状況はまったく違ってくる。いや、そのことで役割を違えて、一つの場面を創り出す。
当たり前のようで、なんだか不思議だ。
 
 ひとこと、付言しておきたい。
わたしはいま、東京練馬区で、小さなコミュニティ・カフェを運営している。「チャイハナ光が丘」というその名称は。実をいうと、アフガニスタンの国道わきにある、薄汚れたテントハウスからとったものだ。この旅で繰り返し世話になった、どこでも、だぶだぶのアフガン服を着た男たちが、大きな土のかまどでナンを焼き、茶を沸かしていた。ことばは通じなかったが、ソ連兵や警官との遭遇を避けたい、わたしの立場を理解してくれているように思えた。(48行)
                    (35字✕48行=1680字)

               (練馬エッセイクラブ 2018年10月)




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2018年10月09日

テレビで紹介されます


迷い迷いだけど、公表します。
明日です。チャイハナ光が丘がテレビで紹介されます。
フジテレビの情報番組ノンストップ!――。その中の「ミニバスで行く!東京ちょこっと旅」というコーナー。(チャイハナの出番は)多分、午前10時ごろから7〜8分です。
先日、ロケがありました。タレントの虻川美穂子さんとディレクターやカメラの方などが見えて、まるで嵐です。
虻川さんは、(確か)「お笑いタレント」という触れ込みだったと思いますが、とてもきちんとした方でした。(お客様から「お笑いタレントというのは、素顔はお笑いじゃないんだよ」と教えていただきました。なるほど、そういうことなのですね。いっぺんにファンになってしまいました)
お知らせを迷ったのは、文字通り、わたしがあれこれしゃべるのが恥ずかしい気持ちがあるからです。・・・でも、言い訳はしないことにします。自分のためにも、番組をつくり、あるいは、その作成に協力した皆さんのためにも、「恥ずかしい」などと考えるのは、間違っているのでしょう。「チャイハナのためにも」も、追加します.
大胆不敵、(多分)明日10日午前10時ごろからです。わたしはそのころ(幸か不幸か)チャイハナウォーキングで光が丘公園に向かっています。


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2018年10月04日

お休みのお知らせ

みなさま

チャイハナ光が丘は、10月5日(金)から9日(火)まで
  所要のため、お休みします。
ご不便をおかけしますが、お許しください。
    亭主 吉村文成
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2018年10月02日

もう一人のトランプ

 もう一人のトランプ大統領          吉村文成
 「この場のすべての国が、それぞれの習慣や信念、伝統を追及する権利を尊重する。米国が皆さんに、どう生き、どう働き、どう祈るか、指図することはない」
 だれの言葉か、分かりますか?
 トランプ米大統領です。9月25日の国連総会一般演説の一部です。同じ演説で、彼はこういうこともいっています。
 「我々はグローバリズムのイデオロギーを拒絶し、愛国主義の行動原理を尊重する」
 ――言葉通り理解するなら、彼の「アメリカ・ファースト」は、現実には「脱・アメリカ帝国主義」を意味することになります。
 もう一点、彼の支持層は、中西部ラストベルト(さび付いた一帯)の、暮らしの苦しい労働者や農民だといわれています。グローバル経済戦争の敗者たちといってよいでしょう。
そんな人たちに頼る。いえ、そんな人たちの立場に立つ。
これはつまり、「弱者の味方」ということではないでしょうか?
 妙なことになってきました。あの悪評ふんぷん、独善男のトランプ大統領が実は、@「脱・アメリカ帝国主義」の旗手であり、A「弱者の味方」だということです。
われわれはどう理解すべきでしょうか?
「アメリカ帝国主義は帰れ!」そして「弱者のための政治を!」は、戦後日本の、いわゆる左翼、新左翼、リベラルなど、どちらかといえば「良心派」とみられるグループが一貫して主張してきたことです。
 この人たちがいま、トランプについて一様に沈黙しているのは不思議なことです。ぜひ、発言して欲しいと思います。
 
 トランプについての、わたし自身の考えをいえば、経済のグローバル化、情報化に対するアメリカのひとつの対応、ということではないかと思います。
 リーマンショックから10年、世界経済の構造変化のひとつは、経済と情報のグローバル化、情報化です。
 ところが、政治は相変わらず国単位で営まれています。政治が経済の構造変化に追いついていないのです。その結果、どんなことになったか?
 格差の拡大です。
 わたしの考えでは、政治とは、もともと、格差の拡大と戦うことを宿命としています。
 何もしないで放置していると、おカネがおカネを増やします。金持ちはますます金持ちになります。権力者はますます権力を強めます。そして、その挙句に社会は崩壊します。
 そういうことを防ぐ。それが政治です。お金持ちからおカネを取り上げて貧乏人に回す、権力層の権力の増大を食い止める。それが、政治の課題です。
 ところが、グローバル化した世界に、その役割を果たすべき政府は存在しません。
 国境を自在に利用するお金持ちが、国家の制約を越えてますます太り、権力者はますます腐敗します。そして、格差が広がり、「勝ち組」と「負け組」に分断された社会が出来上がります。いずれ、崩壊するしかありません。
 それがいま、社会のグローバル化、情報化から生まれている現実とはいえないでしょうか?
 トランプがやっているのは、この現実に対して、「脱グローバル化」で対抗する、ということではないでしょうか?
 国家(政府)が対応できる範囲に、経済や情報をとどめておこうということです。その範囲なら、民主主義も機能します。選挙に向けた彼の真剣さを思うと、(人格的にいろいろ、悪評があるのは事実ですが)彼が民主主義の心からの信奉者であることを思わせます。

 チャイハナ光が丘では、毎月一度、「世界はいま」と題して国際情勢解説をしています。
今月は明後日、4日(木)午前10時半からです。
 今回は、ひとつの柱として、トランプ米大統領について考えてみることにしました。
 上記、とんでもない異論なのかもしれません。ともあれ、議論のきっかけにと思いました。
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2018年09月18日

みんなでトーク『戦争の時代――子どもの暮らし』

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 報告しなければならないことが、山ほどあります。
 とりあえず、昨日(17日=月)の休日。
 午後、上州方面にドライブに出かけました。
 その道端での収穫を今朝、チャイハナ玄関口周辺に飾りました。
しかし、それよりもまず報告したいのは、15日(土)みんなでトーク「戦争の時代――子どもの暮らし」のことです。
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 写真は、このトークを提案した野澤節郎さんがまとめた、あの時代の子どもの暮らしについての報告『戦時下の子どもたちからの教え』です。 計20ページもあります。内容は・・・
1) 子どもたちの主要な年間(学校)行事
2) 「教育勅語」とその読み
3) 「開戦の詔勅」とその現代語訳
4) 社会生活の思い出
5) 終戦後の教育改革
6) 戦前の祝祭日唱歌
    「天長節」 「一月一日」 「金剛石」 紀元節 明治節 紀元2千6百年
 は、歌詞も紹介されています
 7)少年少女向け「戦時歌謡」
    「海ゆく日本」 世紀の若人」 「お山の杉の子」 「日本よい国」 「少国民愛国歌」 「めんこい仔馬」 「兵隊さんよありがとう」・・・などです。
  興味深い話題もあります。
 それは後のち報告します。

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Nさんは、まだ60代。95歳の父上の介護をしています。
寝たきりで外に出られない父上からの「思い出メモ」を披露してくださいました。
こんな一節があります。
「小学6年のとき(昭和19年)のわたしの学級担任は、理科の授業のほか受験勉強にも熱心で、当時はいまのような受験地獄ではなく、放課後1時間ほど受験参考書を解いて担任に採点してもらうのが普通であったが、わたしの担任は、そのあと成績のよくない生徒をあつめて、毎日夜10時ごろまで補習授業を行い、その結果、進学組をそれぞれの志望校に合格させた。
その担任が、ある朝始業1時限全部を割いて、縷々と時局を解き、国の前途を憂える講話を行い、最後に「ウォーターローの歌」を懇親熱唱した。その情熱と気迫は圧倒的で、こころから感度を覚え、「ウォーターローは屍の小山、運命いかに ああフランス」と「ああフランスをリフレインして歌い上げた面影は、いまも脳裏に鮮明である」
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Nさんは、その父上から(この会合用にあわてて)教えられたという「昭和維新の歌」を披露なさいました。
「べきらの淵に波騒ぎ 巫山の雲は乱れ飛ぶ・・・」
まるで、応援歌を聞くようでした。
 
若いご婦人から質問がありました。
「少国民って何ですか? 少ない国民が貴重だったということでしょうか?」
 これはもちろん「少年少女の国民」です。

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K夫人からは、あの時代の暮らしについてのメモが届きました。
タイトルは「NHK【戦争孤児の戦い】を観て、あの頃を思う」
「8月12日に『戦争孤児の戦い』を観ました。73年も前のことだのに、体が震えて涙が出ました」という書き出しです。
 73年前、小学校3年生。一家で軍の官舎をだされ、福島の山奥の電気も水道もない山小屋のようなところで生活したころのことです。
「(軍人だった)父は軍刀を供出しましたが、拳銃は隠し持ち、『いざとなったら幼い順にこれで・・・』と兄にいったそうです。後に庭のカキの木の根元に油紙に包んで深く埋めたのを見て、ホッとしたのをいまでも覚えています」
お母さんの記録(多分、日記)も紹介されています。
「8月15日、終戦の玉音があった。主人が夕方帰ってきて 『戦争は終わったけど負け戦だった。アメリカの兵隊が上陸してきてどんなことをするか分からない。その時は家族で一緒に死のう』といった。わたしはいいけど子どもたちがかわいそうと思ったが、アメリカ兵に乱暴されるより良いかと思った。主人がピストルに弾を6発入れて、子どもたちを先に始末してからわたしを殺し、自分が最後に死ぬといっていた」
そして、そのころの暮らし
「山へ行って食べられそうな草を摘んで、野草ばかりでお米が少し浮いているおかゆを食べたり、ジャガイモ畑で(農家が)取り入れをした後、転がっている親指ほどの芋を拾って、油(多分 魚油)でいためて味噌汁にしたものを食べました。この味噌汁が美味しくて味が忘れられず、後に作ってみましたが、美味しいものではありませんでした」
「敗戦後しばらくしてから。わたしたちの耳に、宮城まり子の『ガード下の靴磨き』の歌がラジオを通して聞こえてきました。『ああ、浮浪児の歌だな』と思いました。『上野公園や駅に汚い恰好をした浮浪児がいっぱいいるから、あんな所に行ったら大変だよ』と大人からいわれました。
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戦災で親を亡くした子供たちが、どんな思いで生きていたのか、どんな扱いを受けていたのか、考えが及ばなかったのです」
 それにしても、この歌の売り出しが昭和25年。終戦から5年たって、この状態だったのですね(吉村)
「NHKに出演した88歳の女性は、終戦直前に空襲で親を失い、15歳で弟と妹を連れて、山形から仕事を求めて上京したが、寝泊まりしたのは上野駅でした。周りの子どもたちには隠して1日1本のサツマイモを姉弟で分け合い生き延びたそうです。その女性は亡き夫に最後まで浮浪児生活をしたことを伝えることができなかったそうです」
K夫人のメモは、太字でこう結ばれています。
「二度と人間性を失った生活はしたくないです」



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2018年09月08日

トマ・ピケティを読んで

 パソコンを整理していたら、トマ・ピケティ「21世紀の資本」の感想文らしいメモが出てきました。要約あるいは要点というより、まさしく感想(読みながら思ったこと)を綴ったのだと思います。
(それにしても、いつ読んだのか? そう古い事でないのは確かですが、記憶はあいまいです。困ったことです)
 そのメモを紹介してみます。実は、最近、米中貿易摩擦に関連して考えたこと、(大げさですが)トランプとは何か? 中国とは何か? という問題意識につながっているように思います。(このトランプ、中国論については、後ほど紹介したいと思います)
 いまはとりあえず、古い「ピケティ読後感」メモの紹介です。

 こういう考えは、ほんとうに正しいのだろうか?
 たとえば、「(年金は)現役世代から集めたおカネを高齢者に渡す」仕組みだろうか? 「(医療保険は)健常者の負担で病者をみる」仕組みだろうか? あるいは、「高齢者がお金をガンガン使っているので、特別会計を含む社会保障の世界は、お金が足りなくなっています」というのは、ほんとうだろうか?
 このごろ思うのだが、高齢者や病人、失業者、貧困所帯、その他、いろいろと「扶助」を受けている(いわゆる)弱者というのは、おカネの流れという点でみると、一種のトンネルのようなものではないのか。
 たとえば医療保険だ。たしかに、名義の上では、受け取るのは病者だ。しかし、病者はそのカネを、ポケットにため込むわけではない。医療費として病院や製薬会社への支払いに充てられ、医師や看護婦の給与となり、あるいは介護施設やそこの職員の給与の源泉となっている。
 そういう分野がいまや一大産業に育ち、多くの雇用を生み出している。税負担だって相当なものだろう。
 老人が受けとる年金も同じことだ。年金をため込むほど余裕のある老人は少ない。年金の大部分が、ささやかな娯楽やメシ代に消えてしまう。そして、そういう支払いが、近所のスーパーやコンビニを支えている。
 ・・・     ・・・
 以上は実は、最近、トマ・ピケティの『21世紀の資本』を読んで思ったことの一部だ。いまごろ、といわれそうだが、面白かった。
 彼が取り上げているのは、格差の問題だ。
 おカネがおカネを稼ぐスピードは、経済成長のスピードより速い。だから、(おカネでおカネを稼がせる)お金持ちはますます豊かになる。したがって、格差というのは「放っておけば」、ますます広がるものだ、という。
 しかし、格差が広がり過ぎると(つまり、おカネがお金持ちの手許にばかり集まって滞留するようになると)、資本主義経済そのものが行き詰る。
 それを避けるために必要なのは、一方で、お金持ちからちゃんと税を取って、他方で、(生存のためにも、おカネを右から左に使うしかない)貧乏人や弱者の手にうまく渡すこと。彼らがおカネを使うことで、経済は回る――。
ということで、ピケティが提唱しているのは、累進資本税です。
人口の1割ほどが、世界中の富のほぼ5割を持つ格差の現実。この1割、あるいは、もっと絞って上位1%からしっかり税を取る。そして、貧乏人に回す。いいじゃないですか?
(以上、わたしの読み方が間違っているのかもしれません。御叱正のほど、よろしくお願いします)
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2018年08月08日

< e , , <絵日記+朗読>綾子先生と少女たち

見事な出来栄えでした。
<絵日記+朗読>綾子先生と少女たち――戦争末期の国民学校の一年をたどって
昨日が発表会でした。
午後1時と5時の2度です。
本当に、74年前の瀬田国民学校にタイムスリップした感じでした。
「朗読」という技術の奥行きを実感しました。
「絵日記」の「絵」についても、ある画家から、こんなほめ言葉をいただき来ました。
「上手いね。しかも、しだいに上達しているのが分かる」
来年もやりたい――関係者みんなの思いです。
できれば、もっと広いところで、もっとたくさんの人に見て欲しい、聞いて欲しい――方法を考えなければなりません。
何か可能な方法はないものでしょうか?
アイディアがあれば、是非、教えてください。
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2018年08月04日

朗読発表会 いよいよです

朗読劇「綾子先生と少女たち」―戦争末期の国民学校の一年をたどって
 
 発表会は、いよいよ7日です。
 3日、その仕上げともいえる練習会が開かれました。
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 物語の舞台は、太平洋戦争末期の昭和19年4月から20年3月にかけての、滋賀県大津市・「瀬田国民学校」。
 その5年智組(担任・西川綾子先生)の生徒たちが記した絵日記をもとに、当時の人々の暮らしをたどっています。
 4月の始業式に始まり、夏休み、秋の体練大会(運動会)、学芸会、そして、日々の勉強や掃除のことなど、学校生活の一年間が淡々と描かれています。
空襲や警戒警報、勤労奉仕、出征兵士の見送り、慰問状作り、肉親の戦死、疎開・・・と戦争が影を落としています。
そんな中で、少女たちは誓います。
「私たちは決戦下の少国民として、一生懸命勉強してお国のためにつくします」
 「いつもいつも、空に来ているB29を 一機でも私たちがたたきつぶしましょう」
 「先生に言われた仕事をし、先生のいいつけをよく守って 兵隊さんに負けないように頑張りましょう」
 「一生けんめいに勉強してお国のためにつくします。明日からみんなきばりましょう」

 「たなつもの 桃の木草も天照らす 日の大神の恵み得てこそ」(本居宣長)と唱和して始まった昼食、ブルマー、虫取りの杖、大詔奉戴日、勅語奉読、防空演習・・・たった70年前のことだのに、いまは忘れたられてしまったことばや行事の数々。
 しかし、おじいさんやおばあさんの子ども時代のまぐれもない現実でした。
 すでに80歳を超したおじいさんやおばさん――子ども時代にどんなことを考えていたでしょう?
「終戦の日」をまじかにして、ちょっと振り返ってみたいと思います。
 いまからでも間に合います。
 ご予約ください。
 なお、この朗読劇は、次の2冊をもとに、佐々木紀子が脚色しました。
 『戦争の時代の子どもたち』 吉村文成著 岩波ジュニア新書
 『1944-45 少女たちの学級日誌』偕成社
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2018年07月11日

<絵日記x朗読>「綾子先生と少女たちー戦争末期の国民学校の一年をたどって」

 「終戦の8月」がめぐってきます。
 日本が、アメリカなど世界の多くの国々と戦争をした――ほとんど信じられない思いですが、ほんとうにあったことです。もう80代になった,おじいさんやおばあさんの子ども時代のことです。
 「戦争の時代」って?
いったいどんな暮らしだったでしょう?
どんな学校生活だったでしょう?
どんなことを、子どもたちは考えたでしょう?
ちょっとだけ、おじいさんやおばあさんの子ども時代にタイムスリップしてみる。
そんな<絵日記x朗読>「綾子先生と少女たち――戦争末期の国民学校の一年をたどって」です。
発表会があります。
8月7日(火)午後1時から と 午後5時からの2回
場所は、チャイハナ光が丘(練馬区田柄5-14-19)。
どうぞ、ご連絡ください。
080−5197−8466(佐々木)
070−6559−3933(吉村)
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2018年07月06日

<絵日誌X朗読>「綾子先生と少女たち」発表会のお知らせ

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<絵日誌X朗読>「綾子先生と少女たち」ーー戦争末期の国民学校の一年をたどってーー
の発表会を開催します。
8月7日午後1時と午後5時の2度。
場所は、チャイハナ光が丘です。
ポスターを添付します。
出演の森田都さんはチャイハナの朗読の先生。
藤田恵子さんは、森田さんの前の先生でした。
佐々木紀子さんは、その生徒さんで、川柳作家です。
もとになった「戦争時代の子どもたち」(岩波ジュニア新書)は、
わたしが龍谷大学国際文化学部に勤めていたときにまとめた本です。
わたしよりちょっと年上ですが、実際にこの日誌を描いた少女たち
(いまは、ちょっとおばあさんたち)は瀬田で元気に暮らしていらっしゃいます。
遠いのが、残念です。


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