わたしたちはいま、どのような時代に生きているのか?
チャイハナ光が丘 吉村文成
いきなりですが、パワーポイントの画像を紹介します。
1月10日の「世界はいま」用に用意した画像の中の1枚です。
(メールでは送れないようです。だから、この部分は抜きということもあります。我慢してください)
想像して欲しいのは、 百万円の札束です。厚さ1pぐらいです。
すると10万円は1o、1千万円は10pです。1億円は1m、10億円は10mになります。
これをそのまま階層とします。3つの階層が見えてきます。
@ ミリ・センチ族――せいぜい10万円、100万円、あるいは数千万円(数十センチ)で、「これは大金だ」と緊張する人々です。いってみれば、庶民。世界が平和なら、つまり「日々是無事」ならシアワセです。
A メートル族――投資家あるいは経営者か、それに近い人たち。できることなら、次の10mクラブに加入したいと願っています。
B 10mクラブ――10億円超の資産を普通のことに思う人たち。日産・ゴーンの登場で具体的なイメージが浮かんできました。世界的な大金持ち。結構ケチです。国家とは関係なしに働き、暮らし、税を納めています。「クラブ」としたのは、ミリ族との関係が、ゴルフのクラブメンバーとキャディの関係に似ているように思えたからです。
(以上の分類は、「格差」ということを理解する工夫と思ってください。こういう格差は、平安朝の昔にもあったことだろうとは思います。しかし、それでも1oの札束と10mとの違いは、きちんと認識したいと思います)
さて、無駄口はやめて、これらの階層と経済政策ということで考えてみます。日本を含めどの国でも、政府や経済学者、マスコミが鼓舞するのは、Aのメートル族です。彼らの勃興こそが経済成長だと思っているからです。
しかし、現実の彼らの大多数にとって、直近の勝利(儲け)の方程式は、「合理化」、つまり「首切りと賃下げ」です。ゴーンが日産で使った手です。
それはしかし、ミリ・センチ族からみると、いじめです。地獄です。定職すら奪われ、不定期で安定しない仕事と生活を強いられる。現実に、限りなく「ミリ族」に近づく、旧来のセンチ族が増えています。
大切なことですが、その状態で、子どもを産み、育てる余裕、モノを買う余力はもてません。こういうミリ・センチ族が人口の大多数であることを考えるなら、社会としての需要不足、そして成長の鈍化は当たり前のことです。
他方で、10mクラブはますます肥え太り、支配力を強めています。
おカネには、おカネをさらに集め、権力も付随してついてく性質があるからです。はっきりとは見えない。しかし、政治家と官僚、そしてほとんどの経済専門家は従者です。
それが、世界的な規模で広がっている「格差拡大時代」ということのように思えます。すでに始まった「未来」です。
こうした「未来」を強く感じるようになったきっかけがあります。昨年暮れの「入管法改正」(18年12月8日)です。
この改正で開かれたのは、「外国人労働者の導入」です。(このごろは「外国人人材」と置き換えられています。あほくさ)。
ほぼ100年前、日本はまったく同様の決断をしています。
1917年ごろでした。日本はやはり人手不足で困っていました。とくに苦しんだのが、北海道の炭鉱です。1905年に植民地にしたばかりの朝鮮半島から特例として炭鉱労働者の導入が始まります。それはやがて、いろいろな業界に広がり、その結果は、100年後のいま、徴用工問題などとしてわたしたちが受け継いでいます。
いったい、なぜまた「100年前の愚」を繰り返そうとしているのか?
根本的な理由として、「少子化」がいわれます。日本人が子どもを産まなくなった。人口が増えない。だから・・・というのです。
しかし、もしほんとうにそれが理由なら、対策は簡単です。「少子化」を「多子化」に切り替える。政治が「結婚、出産、子育て」を支援し、社会的ムードが「結婚しよう、子どもを産もう」という方向に切り変わる――。
もうひとつ、「人手不足」も理由としていわれます。日本中の話ではありません。政府は14の業種を指定しました。それらの業種の問題です。
なぜ、これらの業種に限って「ヒトが集まらない」のか?
待遇が不十分だからです。仕事は厳しい。収入は低い。だれも、そんなところで働きたくない。
明解な解決策。それは、待遇を改めることです。せめて、仕事相応に給与をはずむ!
それをさせるのが、政治の役割でしょう。
最低賃金を引き上げるとか、いろいろな方法があるはずです。
しかし、いまの日本では、それはできまません。
政治に、その意思がないからです。
なぜ、政治は、ミリ・センチ族の待遇改善に、あるいは、格差の縮小の方向に舵を切らないのか?
だれが政治を動かすか?
そのことを考えてみます。ごく一部の限られた集団です。
<カネ出す、票出す、ヒト入れる>集団、です。
政治を動かすのは、結局、カネと票です。そして、こういう政策を実現して欲しいという意思をたまたま持っているグループ。それが、14業種ということでしょう。
「ヒト入れる」というのは、公務員を受け入れるということです。
無論、業界として直接、公務員の古手を雇用するというのではありません。外国人労働者の導入が本格化すれば、必ずできる職場があります。その管理、監督、指導などに当たる第3セクターです。「官」の関連職場の肥大が見込めます。
政治家と公務員が本気になれば、その政策は必ず実現します。
しかし、それだけでしょうか?
この問題に、さらに大きなバックが見えるような気がします。
10mクラブの意思です。
社会の最底辺――ミリ族の給与引き上げは必ず、あらゆる職種、業界に広がります。10mクラブの取り分の縮小につながるでしょう。
そんなことは許さない。ミリ・センチ族は、地位(収入)をわきまえてつつましく暮らせ――そんな10mクラブの「声」ともいえない静かな声が、どこからともなく聞こえてくるような気がします。
フランス人は黄色いジャケットを着て頑張っています。
日本人はどうなのでしょう?
(とりあえず「完」とします)
(以下は、わたしの「独り言」です。どこかに残しておくことにしよう)
加齢とともに過激になる。この小文を打ち込みながら、そんなことを思いました。
わたしの提示した未来を、「暗い」と受け取った方もいらっしゃると思います。
しかし、わたし自身は、そうは思っていません。意外に楽観的です。
大切なのは「票出す」に、わたし自身が加わることです。
あなたにも、多くの子どもたちにも、そうして欲しいと思っています。
どうこういっても、民主主義です。
考えて、考えて、考え抜く。
そして、「票」に結実させる。
それが失敗であっても、我慢して受け入れる。
そういうことが、民主主義だろうと思います。
(もう1段前の独り言、世情を見ながら、わたしがそういうことなのだろうかと思ったことのメモです)
@ 「尊机蔑現」――机業を尊重し、現業を蔑視する――教育、給与その他の待遇、なにより社会通念・・・
これははっきり、逆転させる必要があります。机業は大半が、AIに乗っ取られる可能性があります。生きた人間が必要なのは、時々刻々、変化する状況に対応しなければならない現業です。
Aどうして、<カネ出す、票出す、ヒト入れる>の民主主義になってしまったか?
答は、明解です。
わたしたちの「おまかせ」が、原因です。愚痴はいっても、投票に行かない。戦後73年をかけて育てた、わたしたちの民主主義とはその程度のものだった。
――次は「危ない」意見です。叩かれそうですが・・・(?)
B (戦後の)思想的ミスリード
「マイノリティの権力化と大黒柱の喪失」
「戦後」とは、ある意味、「戦前」あるいは「戦中」の否定で成り立った時代です。「軍国主義」一本槍だった戦中に対して、戦後は「多様な生き方」が尊重されました。それが、マイノリティの肯定と、彼らの(思想的)主流化という流れにつながります。
しかし、一家に大黒柱が必要なように、社会にも、しっかりしたマジョリティ(大黒柱)が必要なのではないでしょうか。わたし流に言えば「日本を日本たらしめた」大黒柱です。山本周五郎や山手樹一郎といった作家たちが描いた「おとこたち」――生きることの悲しみを自覚しながら、ひたすら我慢し、なお敢然と人生に立ち向かう「おとこたち」――です。
マイノリティは、そういう大黒柱があってこその存在です。その大黒柱が、いま。日本の社会から消えて行っていないでしょうか?
そんなことを考えるようになったきっかけは、アメリカの中間選挙(18年10月10日)です。共和党はトランプ党に変わり、民主党は、女性や同性愛者、中東移民などを表看板にするマイノリティ政党に変質していました。
かつてアメリカの魅力をかたちづくっていた、ヘミングウェイやスタインベックの「アメリカ人」がどこにもいなくなった。そんな感じがしたのです。
同じことが、日本やその他の国々でも起こっているのではないでしょうか?
(この部分、メモだから、脈絡はありません。我慢してください)
以上、実は、1月10日の「世界は今」でお話しようと思っていることの一部です。
歳をとって、過激になっていく感じがあります。自分では、「透明に」と思っています。
(遅れましたが)2019年も、どうか、よろしくお願いします。
179-0073
東京都練馬区田柄5-14-19
チャイハナ光が丘 吉村文成