長いけど、結論は「政権交代」が必要だ、ということ。
でも、冷静な「講義もどき」の一部。
「コロナ感染は、風邪の一種です。コロナウイルスは気温が上がると生きていけない。暖かくなれば、自然におさまる――ウイルス研究の大御所(80)による見立てです。
収拾のめどがついたら、それを花道として、安倍政権は退陣する。そして、新政権を中心に、コロナで荒廃した人心を一新し、日本の再出発を図る――チャイハナ光が丘からの提言です。
もし、それを契機に、近隣国を始め世界に政権交代の波が広がり、「コロナの春」というようなことになるなら、安倍首相と日本は世界から見直され、とくにアジアの民衆からは深い感謝と称賛が寄せられるでしょう」
――以上、チャイハナ光が丘「3,4月の日程表(表)」に掲載した「世界はいま」(5日)PR文です。
ほぼ同文で、昨日、FBにも投稿しました。もともと、ある意味、FB狙いの文章です。
でも、どうやら空振り――楽観的過ぎる、という友人たちの評があっただけでした。
わたしの真意をいうと、「花道」は、惻隠の情。また、近隣国の首脳たちのことは、こうなればいいなという希望、ジョークの類です。
わたしの真意は、彼は「退陣」すべきだ、ということです。
与党も野党もメディアも、(呆けていて)それをいう力がない。だったら、国民の力です。日本中の家という家で、表札の隣に「退陣要求」の張り紙が出てもいいぐらいに思っています。
理由は、3つあります。
第一は、ムードの転換です。彼にミスや欠陥があったかどうか、そんなことはどうでもいい。部下のミスだろうと、外的な要因だろうと、要するに理由は何であろうと、業績が下がってきたら、とりあえずトップが交代する。企業ならそうでしょう。あらゆる組織の基本と思います?
疑心暗鬼、猜疑心、日和見・・・なんとなく「マイナス」の方向に向いてきた日本人のこころのベクトルを、「さぁ、(つらくても、面倒でも)前に進むか」というプラスの方向に切り替える。そのための、トップ交代論です。
第二は、「ダイヤモンド・プリンセス」感染問題処理の失敗についての責任です。
窓を開け放ってパーティ三昧で暮らさせたらいいものを(カンボジアで乗客が降りたウエステルダム号の場合がそうでした。同号のコロナ問題は、雲散霧消です)、「室内で、安静に」などといった馬鹿げた指導で、(外からのイメージでは)日本を感染列島にしてしまいました。
専門家の意見を聞かなかった(あるいは、えせ専門家しか周辺にいなかった)厚労省の責任です。最終責任が、トップに問われるのは、当然です。
第三、最も決定的な理由・・・全国の小中高・一律休校の要請です。
共働きの親が困るとか、こどもの重症例はほぼない、とかいったことは些事です。
ほんとうの問題は、一国の宰相が、教育という営為を、日本の将来世代の成長という問題をバカにした、ということです。
どうして日教組は怒らないのでしょう? どうして、校長会は抗議声明を出さないのでしょう? 「授業を続けたい」といえないのでしょう?
正直、「怒れない」心根は推定できます――「万一何かあったら大変、必ず責められる!」
同じ心理(いわば自己保身)が、野党、メディア、官界などを覆いつくしているように思います。それが、「大変だ!!」「きちんと対策を!」といった大合唱になり、そのことが、小中高の一律休校などといった馬鹿げた施策につながっていないでしょうか。地方官庁、相撲協会、プロ野球、興行関係・・・みんなが横並び、「うちも、やってます!」の大合唱です。
一人、二人の犠牲者の発生をわざわざ知事が発表する。それをいかにも大事のようにメディアが伝える! 知事たちはただ自らの「露出」を喜んでいるだけなのと違いますか。
(わたしの感性では)庶民の感覚は別です。「なんか、変だな」という漠然とした疑念が広がっているように思います。
彼を退陣に追い込む、「コロナの春」があり得ることに思えるのです。
最後に、WHOが中国の専門家らと、5万余人の患者調査から出したデータ(2月29日)をひとつ紹介します。コロナ感染患者の致死率に関するものです.
@ 1月1日〜10日・・・17.3%
A 2月1日以降・・・・・0.7%
@ は、明らかに武漢を中心とした大騒動の最中のことです。中国という強権国家体制がつくりだした致死率です。Aは、WHO、中国は「迅速な対策」の成果としています。しかし、むしろ、普通に対応すれば、この程度の「弱い」ウイルスだと判断してよいと思います。それにもかかわらず、わたしたちはいまも、最初の@のイメージのまま対応しています。
新型コロナといえども、パラサイト(寄生生物)です。宿主(ヒト)を殺すのは、いわば自死。素人考えですが、世代を重ねれば、宿主と仲良くやる「共生」の方向に進化するのが必然です。もう、その「穏健な」段階に達しているかもしれません(?)。
いずれにしても、敵の正体がわからない初期の段階では、身をすくめて懸命の用心をする、時間がたって敵の正体が分かってきたら、神経を緩めて、「日常」の一部として対応する――危機対応の基本でしょう。
ところが、安倍首相は逆をしてしまいました。「始め・ノンビリ、後・緊急」です。
野党もメディアも、いわゆる識者も「何かあったら(責任が取れない、いや、叩かれる)」という「保身」に汲々としているようにみえます。そのことを人質にとって、安倍政権は、コロナで脅しているのではないでしょうか。
それが、(いま気がついた)第4の罪状です。コロナで国民を脅し、自らの保身を図る。それで国中を大混乱に陥れ、現実の被害を産み、日本の評判を落とす。許せることではありません。
無論、脅されて(そのことに気づかない振りのまま)、「(対策を)もっとやれ!」「(政府の対策は)・・・が足りない」の一点張りの野党やメディアも同罪です。
「(コロナ)緊急事態宣言」など、いうまでもなく、馬鹿げたことです。
緊急事態なのは、コロナよりも、日本の政治とそれを取り巻く現状です。
早急に、国民運動として「政権交代」を実現することが必要です。
新政権のとりあえずの課題は、安倍首相の全国小中学校の一斉休校をひっくり返し、せめて春休み返上で学校に戻すことはできないかどうか、早急に検討を進めることです。
まさか、反対する教育関係者はいないと思います。
以上、吉村の暴論でした。
@店長の前職(大学教授)時代の担当ゼミ生の『Yゼミ卒業論文集;先ごろ若者気質』
Aフィールドワークで地域の方々と資料をまとめた『瀬田国民学校 学級日誌』、
Bチャイハナの日々 です。
@ではありのままの若者像を、Aでは戦争の時代にあっても明るく過ごした子どもたちの様子を、Bではチャイハナの日々の様子をお伝えしています
2020年03月04日
2020年03月02日
コロナウイルスの感染力は「関脇級」
中国発・新型コロナウイルス感染問題を特集します。
@ コロナウイルスは、気温が上がると生きていけない。春になって暖かくなれば自然に終息する。
A インフルエンザウイルスの感染力を横砂級とすると、コロナウイルスはせいぜい関脇級。インフルエンザウイルスは空気中に長時間浮遊し『空気感染』するが、コロナウイルスは『飛沫感染』しかない。
B 感染者を閉鎖空間に閉じ込めておくのは、ウイルス培養装置に入れるようなもの。『空気中に出たウイルスは、窓を開け放って外へ追い出す』が正解。
――沖縄の生物資源研究所長・根路銘(ねろめ)国昭氏(80)の所説です。常識的にまっとう、というのがわたしの判断です。
(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/70355?page=2)
ーーチャイハナ光が丘、3,4月・日程表(裏面)の文章。「世界はいま」(5日)で説明する予定です。
@ コロナウイルスは、気温が上がると生きていけない。春になって暖かくなれば自然に終息する。
A インフルエンザウイルスの感染力を横砂級とすると、コロナウイルスはせいぜい関脇級。インフルエンザウイルスは空気中に長時間浮遊し『空気感染』するが、コロナウイルスは『飛沫感染』しかない。
B 感染者を閉鎖空間に閉じ込めておくのは、ウイルス培養装置に入れるようなもの。『空気中に出たウイルスは、窓を開け放って外へ追い出す』が正解。
――沖縄の生物資源研究所長・根路銘(ねろめ)国昭氏(80)の所説です。常識的にまっとう、というのがわたしの判断です。
(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/70355?page=2)
ーーチャイハナ光が丘、3,4月・日程表(裏面)の文章。「世界はいま」(5日)で説明する予定です。
『世界はいま』(5日)PR文
「コロナ感染は、風邪の一種です。コロナウイルスは気温が上がると生きていけない。暖かくなれば、自然におさまる――ウイルス研究の大御所(80)による見立てです。収拾のめどがついたら、それを花道として、安倍政権は退陣する。そして、新政権を中心に、コロナで荒廃した人心を一新し、日本の再出発を図る――チャイハナ光が丘からの提言です。
もし、それを契機に、近隣国を始め世界に政権交代の波が広がり、「コロナの春」というようなことになるなら、安倍首相と日本は世界から見直され、とくにアジアの民衆からは深い感謝と称賛が寄せられるでしょう」
ーーチャイハナ光が丘3,4月日程表を今日、印刷しました。そこに載せた「世界はいま」(3月5日)PR文です。わたしには、極く常識的な判断です。
もし、それを契機に、近隣国を始め世界に政権交代の波が広がり、「コロナの春」というようなことになるなら、安倍首相と日本は世界から見直され、とくにアジアの民衆からは深い感謝と称賛が寄せられるでしょう」
ーーチャイハナ光が丘3,4月日程表を今日、印刷しました。そこに載せた「世界はいま」(3月5日)PR文です。わたしには、極く常識的な判断です。
2020年02月22日
福島事故は「人災」だった!
1911年の福島原発事故は、防ごうと思えば防げた「人災」だ――そんな見方が、飛び込んできました。事故9周年「3月11日」は間もなくです。メディアとは言いません。どなたであれ、関係者に実際に取材して、当日の実情を報告していただくわけにはいかないでしょうか?
「人災説」のソースは、そのころ、通信情報機関や原発などに対する大規模電力供給システムを開発、運営していた企業にいた方です。仮にKさんとします。
Kさんによると、大規模電力供給では、電力の停止は当然予測されています。対策として、予備の発電施設があります。それでもだめな場合に備えて、移動電源車というのも、全国に配備されています。まさに「万全の体制」です。
さて、福島原発事故の当日です。
夜、100台近い移動電源車が全国から福島に集まった、というニュースを、Kさんは見ました。これで安心と眠りについたそうです。
ところが、翌朝になってみると、あの惨事です。100台近い電源車は、何の役にも立たなかったのです。なぜか?
Kさんが考えたのは、二つの可能性です。
A)原発と電源車をつなぐコネクター(プラグ)が合わなかった
B)地震によるがれきで原発のコネクター口が塞がれ、近寄れなかった。
A)についていえば、コネクターの種類はせいぜい4,5種類しかない。前もって用意しておくのが常識だろう、といいます。
B)についていえば、窓を破ってでも原発内にはいって、(コネクターを使わず)線と線(電力ケーブル)を直接つなげばよい。太い電力ケーブルをつなぐのは簡単ではないだろうが、普段から、そういう訓練をしておけばできることだ――といいます。
この2つの可能性については、最近、事故を取材した元記者に問い合わせて、A)の「コネクターが合わなかった」ということが、事故当初からいわれていたらしいことが分かりました。
どうやら、それで「説明がついた」ことになり、メディアも含め、みんな納得してしまったようなのです。
しかし、電源車が100台近く集まって、適切なコネクターがなかった、というのが正常なことでしょうか。また、仮に、合うコネクターがなかったとしても、それで「お手上げ」というのは、いかにもお粗末です。B)で触れた、「線と線(電力ケーブル)を直接つなぐ」工夫は、試みられなかったのでしょうか?
そのあたり・・・当日の電源車をめぐる現場はどんな様子だったのか? 100台近い電源車は何をしていたのか? いまからでも、検証できないものでしょうか?――(疑問を抱えてきた)Kさんが切実に望んでいることです。
なお、Kさんによると、政府の調査委員会の報告は、電源喪失後の原子炉本体・圧力容器等の対処の状況が中心で、ひとこと電源喪失のためとの記述はあったが、喪失問題については触れていない、とのことです。
最後、福島原発事故が「人災」だという、Kさんの見方はこういうことです。
「ローテク(電力ケーブルの接続技術)がハイテク(原子力発電中心部)の足元をすくった」
「人災説」のソースは、そのころ、通信情報機関や原発などに対する大規模電力供給システムを開発、運営していた企業にいた方です。仮にKさんとします。
Kさんによると、大規模電力供給では、電力の停止は当然予測されています。対策として、予備の発電施設があります。それでもだめな場合に備えて、移動電源車というのも、全国に配備されています。まさに「万全の体制」です。
さて、福島原発事故の当日です。
夜、100台近い移動電源車が全国から福島に集まった、というニュースを、Kさんは見ました。これで安心と眠りについたそうです。
ところが、翌朝になってみると、あの惨事です。100台近い電源車は、何の役にも立たなかったのです。なぜか?
Kさんが考えたのは、二つの可能性です。
A)原発と電源車をつなぐコネクター(プラグ)が合わなかった
B)地震によるがれきで原発のコネクター口が塞がれ、近寄れなかった。
A)についていえば、コネクターの種類はせいぜい4,5種類しかない。前もって用意しておくのが常識だろう、といいます。
B)についていえば、窓を破ってでも原発内にはいって、(コネクターを使わず)線と線(電力ケーブル)を直接つなげばよい。太い電力ケーブルをつなぐのは簡単ではないだろうが、普段から、そういう訓練をしておけばできることだ――といいます。
この2つの可能性については、最近、事故を取材した元記者に問い合わせて、A)の「コネクターが合わなかった」ということが、事故当初からいわれていたらしいことが分かりました。
どうやら、それで「説明がついた」ことになり、メディアも含め、みんな納得してしまったようなのです。
しかし、電源車が100台近く集まって、適切なコネクターがなかった、というのが正常なことでしょうか。また、仮に、合うコネクターがなかったとしても、それで「お手上げ」というのは、いかにもお粗末です。B)で触れた、「線と線(電力ケーブル)を直接つなぐ」工夫は、試みられなかったのでしょうか?
そのあたり・・・当日の電源車をめぐる現場はどんな様子だったのか? 100台近い電源車は何をしていたのか? いまからでも、検証できないものでしょうか?――(疑問を抱えてきた)Kさんが切実に望んでいることです。
なお、Kさんによると、政府の調査委員会の報告は、電源喪失後の原子炉本体・圧力容器等の対処の状況が中心で、ひとこと電源喪失のためとの記述はあったが、喪失問題については触れていない、とのことです。
最後、福島原発事故が「人災」だという、Kさんの見方はこういうことです。
「ローテク(電力ケーブルの接続技術)がハイテク(原子力発電中心部)の足元をすくった」
福島事故は「人災」だった!
1911年の福島原発事故は、防ごうと思えば防げた「人災」だ――そんな見方が、飛び込んできました。事故9周年「3月11日」は間もなくです。メディアとは言いません。どなたであれ、関係者に実際に取材して、当日の実情を報告していただくわけにはいかないでしょうか?
「人災説」のソースは、そのころ、通信情報機関や原発などに対する大規模電力供給システムを開発、運営していた企業にいた方です。仮にKさんとします。
Kさんによると、大規模電力供給では、電力の停止は当然予測されています。対策として、予備の発電施設があります。それでもだめな場合に備えて、移動電源車というのも、全国に配備されています。まさに「万全の体制」です。
さて、福島原発事故の当日です。
夜、100台近い移動電源車が全国から福島に集まった、というニュースを、Kさんは見ました。これで安心と眠りについたそうです。
ところが、翌朝になってみると、あの惨事です。100台近い電源車は、何の役にも立たなかったのです。なぜか?
Kさんが考えたのは、二つの可能性です。
A)原発と電源車をつなぐコネクター(プラグ)が合わなかった
B)地震によるがれきで原発のコネクター口が塞がれ、近寄れなかった。
A)についていえば、コネクターの種類はせいぜい4,5種類しかない。前もって用意しておくのが常識だろう、といいます。
B)についていえば、窓を破ってでも原発内にはいって、(コネクターを使わず)線と線(電力ケーブル)を直接つなげばよい。太い電力ケーブルをつなぐのは簡単ではないだろうが、普段から、そういう訓練をしておけばできることだ――といいます。
この2つの可能性については、最近、事故を取材した元記者に問い合わせて、A)の「コネクターが合わなかった」ということが、事故当初からいわれていたらしいことが分かりました。
どうやら、それで「説明がついた」ことになり、メディアも含め、みんな納得してしまったようなのです。
しかし、電源車が100台近く集まって、適切なコネクターがなかった、というのが正常なことでしょうか。また、仮に、合うコネクターがなかったとしても、それで「お手上げ」というのは、いかにもお粗末です。B)で触れた、「線と線(電力ケーブル)を直接つなぐ」工夫は、試みられなかったのでしょうか?
そのあたり・・・当日の電源車をめぐる現場はどんな様子だったのか? 100台近い電源車は何をしていたのか? いまからでも、検証できないものでしょうか?――(疑問を抱えてきた)Kさんが切実に望んでいることです。
なお、Kさんによると、政府の調査委員会の報告は、電源喪失後の原子炉本体・圧力容器等の対処の状況が中心で、ひとこと電源喪失のためとの記述はあったが、喪失問題については触れていない、とのことです。
最後、福島原発事故が「人災」だという、Kさんの見方はこういうことです。
「ローテク(電力ケーブルの接続技術)がハイテク(原子力発電中心部)の足元をすくった」
「人災説」のソースは、そのころ、通信情報機関や原発などに対する大規模電力供給システムを開発、運営していた企業にいた方です。仮にKさんとします。
Kさんによると、大規模電力供給では、電力の停止は当然予測されています。対策として、予備の発電施設があります。それでもだめな場合に備えて、移動電源車というのも、全国に配備されています。まさに「万全の体制」です。
さて、福島原発事故の当日です。
夜、100台近い移動電源車が全国から福島に集まった、というニュースを、Kさんは見ました。これで安心と眠りについたそうです。
ところが、翌朝になってみると、あの惨事です。100台近い電源車は、何の役にも立たなかったのです。なぜか?
Kさんが考えたのは、二つの可能性です。
A)原発と電源車をつなぐコネクター(プラグ)が合わなかった
B)地震によるがれきで原発のコネクター口が塞がれ、近寄れなかった。
A)についていえば、コネクターの種類はせいぜい4,5種類しかない。前もって用意しておくのが常識だろう、といいます。
B)についていえば、窓を破ってでも原発内にはいって、(コネクターを使わず)線と線(電力ケーブル)を直接つなげばよい。太い電力ケーブルをつなぐのは簡単ではないだろうが、普段から、そういう訓練をしておけばできることだ――といいます。
この2つの可能性については、最近、事故を取材した元記者に問い合わせて、A)の「コネクターが合わなかった」ということが、事故当初からいわれていたらしいことが分かりました。
どうやら、それで「説明がついた」ことになり、メディアも含め、みんな納得してしまったようなのです。
しかし、電源車が100台近く集まって、適切なコネクターがなかった、というのが正常なことでしょうか。また、仮に、合うコネクターがなかったとしても、それで「お手上げ」というのは、いかにもお粗末です。B)で触れた、「線と線(電力ケーブル)を直接つなぐ」工夫は、試みられなかったのでしょうか?
そのあたり・・・当日の電源車をめぐる現場はどんな様子だったのか? 100台近い電源車は何をしていたのか? いまからでも、検証できないものでしょうか?――(疑問を抱えてきた)Kさんが切実に望んでいることです。
なお、Kさんによると、政府の調査委員会の報告は、電源喪失後の原子炉本体・圧力容器等の対処の状況が中心で、ひとこと電源喪失のためとの記述はあったが、喪失問題については触れていない、とのことです。
最後、福島原発事故が「人災」だという、Kさんの見方はこういうことです。
「ローテク(電力ケーブルの接続技術)がハイテク(原子力発電中心部)の足元をすくった」
2020年02月10日
「インド発・コロナ騒ぎ」はなぜないか?
「コロナやサーズのような疫病騒ぎは、インドでは起こらない。なぜか、分かりますか?」
もう、一昨日になってしまいました。「めこん」という出版社の主催する、月に一度の勉強会に行ってきました。
今回のテーマは、「台湾の総統選挙」。講師は、北京、香港、台北などの特派員をしたことのある、中国通の元同僚(記者)です。わざわざ総統選の取材に行って、その報告会です。
選挙にかける、台湾の若者たち――その姿を直接目にした感動が、ごく素直に伝わってきました。
さて、冒頭の質問は、その彼からのものです。わたしがかつてニューデリー特派員だったことを前提にしています。
答えに、詰まりました。
「カレー? マンディ? 菜食主義?・・・」そんなことばが、頭に浮かびました。
元同僚は、いいました。
「『言論の自由』ですよ。隠せないでしょう。中国は『隠せる社会』なのです」
あっと、気がつきました。
仮に妙な病気がはやり出したと仮定した場合、インドなら、間違いなく、ごく初期の段階でマスコミにタレコミがあるでしょう。報道されるのは、間違いありません。そして、当局も対策をとらざるを得ません。
強権支配の中国は違います。ぎりぎりまで、隠します。隠せてしまう社会なのです。そして、隠しているうちに(何の対策も取られないまま)感染者は増え続けます。増えて、増えて、どうにも手がつけられなくなったとき、とうとう表ざたになる、という次第です。
以上、「中国発・疫病」の仕掛けとして、とてもよく分かる説明のように思います。
関連して、一点、思い出したことがあります。
ごく初期の段階です。確か武漢市長だったと思いますが、こういうことを言っていました。
「(こんなことになって)習近平主席に申し訳ない」
謝らなければならないのは、誰に対してなんだ? おい、お前?
と、腹立たしく、妙な感じがしたのを覚えています。
もう、一昨日になってしまいました。「めこん」という出版社の主催する、月に一度の勉強会に行ってきました。
今回のテーマは、「台湾の総統選挙」。講師は、北京、香港、台北などの特派員をしたことのある、中国通の元同僚(記者)です。わざわざ総統選の取材に行って、その報告会です。
選挙にかける、台湾の若者たち――その姿を直接目にした感動が、ごく素直に伝わってきました。
さて、冒頭の質問は、その彼からのものです。わたしがかつてニューデリー特派員だったことを前提にしています。
答えに、詰まりました。
「カレー? マンディ? 菜食主義?・・・」そんなことばが、頭に浮かびました。
元同僚は、いいました。
「『言論の自由』ですよ。隠せないでしょう。中国は『隠せる社会』なのです」
あっと、気がつきました。
仮に妙な病気がはやり出したと仮定した場合、インドなら、間違いなく、ごく初期の段階でマスコミにタレコミがあるでしょう。報道されるのは、間違いありません。そして、当局も対策をとらざるを得ません。
強権支配の中国は違います。ぎりぎりまで、隠します。隠せてしまう社会なのです。そして、隠しているうちに(何の対策も取られないまま)感染者は増え続けます。増えて、増えて、どうにも手がつけられなくなったとき、とうとう表ざたになる、という次第です。
以上、「中国発・疫病」の仕掛けとして、とてもよく分かる説明のように思います。
関連して、一点、思い出したことがあります。
ごく初期の段階です。確か武漢市長だったと思いますが、こういうことを言っていました。
「(こんなことになって)習近平主席に申し訳ない」
謝らなければならないのは、誰に対してなんだ? おい、お前?
と、腹立たしく、妙な感じがしたのを覚えています。
2020年02月02日
練馬つながるフェスタ
2020年01月18日
若きピアニスト
インドに復帰!!
インドに復帰することになりました。
といっても、また、新聞社のニューデリー支局長というわけではありません。
チャイハナ光が丘で、インド関係イベントが開かれます。
雪の舞った18日、鎌倉から、鹿子木謙吉さんがお見えになりました。プーナ出身のmangesh.phatakさんと一緒です。
鹿子木さんは、1971年から2000年まで日印協会の常務理事。いまは、Discover India Club(DIC)の副会長です、まさに、日本とインドをつなぐ重鎮です。ファタクさんは、DICの役員です。
「インド関係のイベントにチャイハナを使いたい」――それが、鹿子木さんらの提案でした。
「DICの副会長の一人(インド人、いま会社社長)は談志の弟子。(日本語で)落語もできます。(インドの)踊りや(打楽器の)タブラーの名人もいます。DICの会長さんは、環境問題の権威。インド社会や歴史の研究者もメンバーです」
そういう人たちの発表の場に、月に1度くらい、チャイハナを使いたいというのです。
もちろん、大歓迎です。
4月の第2土曜辺りをねらって、第1弾を進めることになりました。
乞うご期待!
といっても、また、新聞社のニューデリー支局長というわけではありません。
チャイハナ光が丘で、インド関係イベントが開かれます。
雪の舞った18日、鎌倉から、鹿子木謙吉さんがお見えになりました。プーナ出身のmangesh.phatakさんと一緒です。
鹿子木さんは、1971年から2000年まで日印協会の常務理事。いまは、Discover India Club(DIC)の副会長です、まさに、日本とインドをつなぐ重鎮です。ファタクさんは、DICの役員です。
「インド関係のイベントにチャイハナを使いたい」――それが、鹿子木さんらの提案でした。
「DICの副会長の一人(インド人、いま会社社長)は談志の弟子。(日本語で)落語もできます。(インドの)踊りや(打楽器の)タブラーの名人もいます。DICの会長さんは、環境問題の権威。インド社会や歴史の研究者もメンバーです」
そういう人たちの発表の場に、月に1度くらい、チャイハナを使いたいというのです。
もちろん、大歓迎です。
4月の第2土曜辺りをねらって、第1弾を進めることになりました。
乞うご期待!
2020年01月04日
講演『東アジアのいま 中国はどう動くか?』
明けましておめでとうございます。
みなさまのご多幸をお祈りいたします。
ところで、正月早々ですが、講演のお知らせです。

『東アジアのいま 中国はどう動くか?』
1月11日(土)午後2時〜4時 練馬区役所20諧・交流会場
申し込みは、以下です。

中華人民共和国は、隋、唐、宋、元、明、清と続いてきた中国・巨大帝国の後継国家と考えます。建国70年、まだ興隆期でしょう。「強権」をためらわず、最先端の監視カメラと信用システムによって民生の安定を図る――そんな中国式統治モデルが、発展途上国を中心に世界に広がっています。その現実を、わたしたちはどう受け止めればよいのでしょう?
関心を持っていただけるようであれば、どうぞ、出かけてみてください。
みなさまのご多幸をお祈りいたします。
ところで、正月早々ですが、講演のお知らせです。
『東アジアのいま 中国はどう動くか?』
1月11日(土)午後2時〜4時 練馬区役所20諧・交流会場
申し込みは、以下です。
中華人民共和国は、隋、唐、宋、元、明、清と続いてきた中国・巨大帝国の後継国家と考えます。建国70年、まだ興隆期でしょう。「強権」をためらわず、最先端の監視カメラと信用システムによって民生の安定を図る――そんな中国式統治モデルが、発展途上国を中心に世界に広がっています。その現実を、わたしたちはどう受け止めればよいのでしょう?
関心を持っていただけるようであれば、どうぞ、出かけてみてください。
2019年12月27日
2019年最後の行事は「朗読」でした
2019年12月05日
エッセイ「モーツアルトとベートーベン」
「練馬エッセイクラブ」―-―大げさなネーミング。チャイハナ光が丘で、2カ月に1度、開催している会合です。
決められたテーマを主題に、(800字あるいは1600字前後の)原稿を前もってメールでメンバーに送っておき、翌月の開催日に議論にかけます。
次回は、12月は14日(土)。テーマは「音楽」。締め切りは、11月末でした。
わたしの提出した原稿を紹介してみます。
書き終わって、意外に社会性のある原稿だな、と気がついたからです。
チャイハナの活動報告の意味もあります。
内容は、実は、単純なことです。
「なんでもいい(いくつになってからでもいい)、芸事に取り組んでみましょう。きっといいことがありますよ」
無論、すでに取り組んでいる方々にはエールです。
以下、そのエッセイ(考えたら、タイトルだけ壮大に「音楽」)
モーツアルトとベートーベン
吉村 文成
「このごろピアノにはまっています。もっぱらモーツアルト・・・それしか弾けない」
ごく最近のことである。大学入学のときのクラス会があった。そのときのかつての級友の近況報告である。わたしと同窓だから、八〇歳近い。
モーツアルトしか弾けない?
それって、初歩のことなのか?
帰って、そのかつての級友のことを家内に話した。
「しか弾けない”じゃないわね。モーツアルトに、はまっているということよ」
家内の言では、モーツアルトは天才である。頭に浮かんだ曲想が、そのまま名曲になっている。手書きの楽譜に、直しが一カ所もない。その比較でいうと、ベートーベンは「苦悩の人」だ。曲想を徹底的に吟味する。
わたしは、東京・練馬区で小さな喫茶のマスターをしている。裏通りで客も少ない。そのせいでというわけでもないが、いろいろな文化教室の会場にもなっている。朗読、歌声、ボイストレーニング、エッセイなどだ。
そんな文化教室の先生方から学ぶことが、少なくない。
朗読の先生は、プロのアナウンサーである。手取り足取りという感じで、生徒に向き合う。
彼女が求めるのは、まず、読む文章についての理解だ。何が主題か、どこが大切か、どんな気分の文章か、明るいか暗いか、一つひとつのセリフにどんな気持ちが込められているか・・・次から次へと、彼女は問いかける。
そして、理解したことを、そのまま声に移すことを求める。
それが、限りなく難しい。先生を前にして、わたしたちは自分の声を自由に操れない不自由を痛感する。
「理解して、表現する。そのことの難しさ」――それこそが、わたしが彼女の指導を通して学んだことだ。
「理解と表現」は、あらゆる「芸」に通じる基本だろう。
画家は、何を描くかを理解し、それを絵にする。音楽家は、自らの想いを理解し、音符にする。あるいは、音符に込められた想いを理解し、声や音に変える。俳優は役を理解し、演技する。生け花や茶道だって同じだろう。花や「場」について理解し、その理解を表現する。
文章を書く場合も同じことがいえそうだ。書きたい内容を「理解」する。その理解した内容を、言語で表わす。
その「表わす」というところが、限りなく難しい。
そんな風に考えていたところに、モーツアルトの登場である。想いがそのまま名曲になるという。どういうことなのか?
チャイハナで歌声喫茶を指導している先生に尋ねた。答えは、こうだ。
「モーツアルトは、とにかく音そのものが美しいのよ。そして、繊細。だから、弾き間違うと、すぐわかってしまう」
モーツアルトは、絵でいえば、色や光に美を見出す抽象画家ということらしい。比較して、ベートーベンは「見えるもの」の真実を追求する具象画家ということか。
モーツアルトとベートーベン、抽象と具象。共通する要素は何か。
考えるうちに行き着いたのが、「感動」ということだ。
モーツアルトとその仲間は、音や光そのものに感動できる、即興的な感性の持ち主なのだ。他方、ベートーベンとその一党は、最初の感動に磨きをかけ、それが深まってゆくプロセスにもまた感動する人たちなのだろう。
「感動」を柱にすると、諸々の芸についての見方も変わってくる。いずれをとっても、本当に学ぶのは、「感動を発見し、それを表現する技法」なのだ。
表現は、いいかえればプレゼンだ。他者を相手に、有形、無形いずれにしろ、なんらかのかたちをとる。そして、少なくとも凡人の場合は、結果としての「かたち」に、必ず不満が残る。
このごろ、なんとはなしになのだが、年齢を考えるようになった。「残された時間が少なくなった」という感覚である。その限られてきた時間のごく一部でも、「感動」を意識しながら暮らせたら、どんなに素晴らしいだろう。
「表現」は無論、未完で終わるだろうが、それは励み・・・でよい。
(29x58行=1682字)
決められたテーマを主題に、(800字あるいは1600字前後の)原稿を前もってメールでメンバーに送っておき、翌月の開催日に議論にかけます。
次回は、12月は14日(土)。テーマは「音楽」。締め切りは、11月末でした。
わたしの提出した原稿を紹介してみます。
書き終わって、意外に社会性のある原稿だな、と気がついたからです。
チャイハナの活動報告の意味もあります。
内容は、実は、単純なことです。
「なんでもいい(いくつになってからでもいい)、芸事に取り組んでみましょう。きっといいことがありますよ」
無論、すでに取り組んでいる方々にはエールです。
以下、そのエッセイ(考えたら、タイトルだけ壮大に「音楽」)
モーツアルトとベートーベン
吉村 文成
「このごろピアノにはまっています。もっぱらモーツアルト・・・それしか弾けない」
ごく最近のことである。大学入学のときのクラス会があった。そのときのかつての級友の近況報告である。わたしと同窓だから、八〇歳近い。
モーツアルトしか弾けない?
それって、初歩のことなのか?
帰って、そのかつての級友のことを家内に話した。
「しか弾けない”じゃないわね。モーツアルトに、はまっているということよ」
家内の言では、モーツアルトは天才である。頭に浮かんだ曲想が、そのまま名曲になっている。手書きの楽譜に、直しが一カ所もない。その比較でいうと、ベートーベンは「苦悩の人」だ。曲想を徹底的に吟味する。
わたしは、東京・練馬区で小さな喫茶のマスターをしている。裏通りで客も少ない。そのせいでというわけでもないが、いろいろな文化教室の会場にもなっている。朗読、歌声、ボイストレーニング、エッセイなどだ。
そんな文化教室の先生方から学ぶことが、少なくない。
朗読の先生は、プロのアナウンサーである。手取り足取りという感じで、生徒に向き合う。
彼女が求めるのは、まず、読む文章についての理解だ。何が主題か、どこが大切か、どんな気分の文章か、明るいか暗いか、一つひとつのセリフにどんな気持ちが込められているか・・・次から次へと、彼女は問いかける。
そして、理解したことを、そのまま声に移すことを求める。
それが、限りなく難しい。先生を前にして、わたしたちは自分の声を自由に操れない不自由を痛感する。
「理解して、表現する。そのことの難しさ」――それこそが、わたしが彼女の指導を通して学んだことだ。
「理解と表現」は、あらゆる「芸」に通じる基本だろう。
画家は、何を描くかを理解し、それを絵にする。音楽家は、自らの想いを理解し、音符にする。あるいは、音符に込められた想いを理解し、声や音に変える。俳優は役を理解し、演技する。生け花や茶道だって同じだろう。花や「場」について理解し、その理解を表現する。
文章を書く場合も同じことがいえそうだ。書きたい内容を「理解」する。その理解した内容を、言語で表わす。
その「表わす」というところが、限りなく難しい。
そんな風に考えていたところに、モーツアルトの登場である。想いがそのまま名曲になるという。どういうことなのか?
チャイハナで歌声喫茶を指導している先生に尋ねた。答えは、こうだ。
「モーツアルトは、とにかく音そのものが美しいのよ。そして、繊細。だから、弾き間違うと、すぐわかってしまう」
モーツアルトは、絵でいえば、色や光に美を見出す抽象画家ということらしい。比較して、ベートーベンは「見えるもの」の真実を追求する具象画家ということか。
モーツアルトとベートーベン、抽象と具象。共通する要素は何か。
考えるうちに行き着いたのが、「感動」ということだ。
モーツアルトとその仲間は、音や光そのものに感動できる、即興的な感性の持ち主なのだ。他方、ベートーベンとその一党は、最初の感動に磨きをかけ、それが深まってゆくプロセスにもまた感動する人たちなのだろう。
「感動」を柱にすると、諸々の芸についての見方も変わってくる。いずれをとっても、本当に学ぶのは、「感動を発見し、それを表現する技法」なのだ。
表現は、いいかえればプレゼンだ。他者を相手に、有形、無形いずれにしろ、なんらかのかたちをとる。そして、少なくとも凡人の場合は、結果としての「かたち」に、必ず不満が残る。
このごろ、なんとはなしになのだが、年齢を考えるようになった。「残された時間が少なくなった」という感覚である。その限られてきた時間のごく一部でも、「感動」を意識しながら暮らせたら、どんなに素晴らしいだろう。
「表現」は無論、未完で終わるだろうが、それは励み・・・でよい。
(29x58行=1682字)
2019年11月30日
青山世界史年表
チャイハナ光が丘の壁に、大きな世界歴史年表が張ってあります。
縦が1メートル余り、横が3メートル近く、 紀元前4世紀から21世紀の現代まで、世界中195の国や地域が網羅されています。
青山政征毅さんの作品です。

青山さんは、もともと三菱電機で、製品開発をしていたデザイナー。
美しい仕上がりです。
学校などに張り出せば、子どもたちが見入るに違いありません。
歴史の知識も、自然に身に付くでしょう。
しかし、なにせ大きい、そして、これだけの大きさでも、詰まったデータを読み取ろうとすると、文字が小さい――。
ズームアップとか事項(キーワード)検索とか・・・デジタル化できたらいいのに――実物を見れば、だれでも思うことです。
そのデジタル化に向けての作業を実際にやってみよう。
そんなことを考えた人たちが昨日、集まりました。
いわば、「青山年表・勝手連」です。
あらためて、青山さんの話を聞きました。
年表にある、一つひとつのデータに込められた想いを実感しました。
137億年前の宇宙誕生(ビッグバン)に始まる、壮大な年表もあります。
地球が誕生した46年前を午前零時とすると、人類(ホモ・サピエンス)が生まれたのは、午後11時59分ぐらいだといいます。
そのことが、カラフルな図で示されています。

会議の課題を要約すれば、こうです。
この文化遺産ともいうべき壮大な作品を、どのようにして多くの人に見てもらうか?
さいわい「勝手連」の一人は、海外のIT会社で製品の市場化に取り組んできた、プロの方でした。
「ビジネスモデル(プラン)をつくってみましょう!」
ただ、青山さんの年表に感心し、感動したというだけの「勝手連」。
そんな緩い集団なのですが、「青山年表デジタル化プロジェクト」が、とうとう動き出したようです。
縦が1メートル余り、横が3メートル近く、 紀元前4世紀から21世紀の現代まで、世界中195の国や地域が網羅されています。
青山政征毅さんの作品です。
青山さんは、もともと三菱電機で、製品開発をしていたデザイナー。
美しい仕上がりです。
学校などに張り出せば、子どもたちが見入るに違いありません。
歴史の知識も、自然に身に付くでしょう。
しかし、なにせ大きい、そして、これだけの大きさでも、詰まったデータを読み取ろうとすると、文字が小さい――。
ズームアップとか事項(キーワード)検索とか・・・デジタル化できたらいいのに――実物を見れば、だれでも思うことです。
そのデジタル化に向けての作業を実際にやってみよう。
そんなことを考えた人たちが昨日、集まりました。
いわば、「青山年表・勝手連」です。
あらためて、青山さんの話を聞きました。
年表にある、一つひとつのデータに込められた想いを実感しました。
137億年前の宇宙誕生(ビッグバン)に始まる、壮大な年表もあります。
地球が誕生した46年前を午前零時とすると、人類(ホモ・サピエンス)が生まれたのは、午後11時59分ぐらいだといいます。
そのことが、カラフルな図で示されています。
会議の課題を要約すれば、こうです。
この文化遺産ともいうべき壮大な作品を、どのようにして多くの人に見てもらうか?
さいわい「勝手連」の一人は、海外のIT会社で製品の市場化に取り組んできた、プロの方でした。
「ビジネスモデル(プラン)をつくってみましょう!」
ただ、青山さんの年表に感心し、感動したというだけの「勝手連」。
そんな緩い集団なのですが、「青山年表デジタル化プロジェクト」が、とうとう動き出したようです。
2019年11月27日
谷岡健吉氏の8K内視鏡
谷岡健吉氏(元NHK技術研究所長、恩賜発明賞ほか受賞多数)――なんだかすごい方です。
昨夜、都内であったある集まり(勉強会)に出かけました。
たまたまなのですが、その谷岡氏のお話しを聞きました。
「8K」という超細密撮影技術を内視鏡手術に使う話です。
難しい内容です。
でも、分かりやすい画像で、日本の最先端技術に直接触れる興奮があります。
慣れた感じのプレゼンに感心しました。
経歴に、高知市出身とあります。家内と同年齢です。
帰って、家内に谷岡氏のことを話しました。
――すると、中学の同級生だというのです。
「なぜ、名刺交換してこなかった」と絞られました。
谷岡さん――家内が会いたがっています。
昨夜、都内であったある集まり(勉強会)に出かけました。
たまたまなのですが、その谷岡氏のお話しを聞きました。
「8K」という超細密撮影技術を内視鏡手術に使う話です。
![keyv01_sp[1].jpg](http://chaihana.sakura.ne.jp/sblo_files/chaihana/image/keyv01_sp5B15D-thumbnail2.jpg)
でも、分かりやすい画像で、日本の最先端技術に直接触れる興奮があります。
慣れた感じのプレゼンに感心しました。
経歴に、高知市出身とあります。家内と同年齢です。
帰って、家内に谷岡氏のことを話しました。
――すると、中学の同級生だというのです。
「なぜ、名刺交換してこなかった」と絞られました。
谷岡さん――家内が会いたがっています。
2019年11月23日
本の交差点
昨日のチャイハナトーク「わたしの『私設図書館』」構想」(講師 小川義夫さん)の報告です。
二点、大きな進展がありました。
ひとつは、概念の転換です。
図書館だとか、コミュニティだとかいう発想は止めよう。
むしろ、本を中心に考える。
家の本棚に眠っている本に、もう一度目を覚ましてもらう。
そういう「舞台」として考える。
いわば「家本・目覚まし装置」あるいは「本の交差点」といったイメージ。
いま風にいえば、「本のプラットフォーム」です。
モダンに思えますが、こんな話の紹介もありました。
むかし、東京の地下鉄のどこかの(どこだったか、わたしが失念)駅で、改札の近くに本棚が置かれていたそうです。
そばに、こんな案内。
「ご自由にお持ちください、余った本があったら、入れておいてください」
駅長さんの個人的なアイディアだった、といいます。
「駅舎の改装工事でなくなった。でも、何年も本が絶えることはなかった」
――高齢の出席者から紹介のあった挿話でした。
さて、もう一つの進展ーー「お留守番」のことです、
あるおばあさんから、提案がありました。
「一人暮らしで、行くところもない。家につくねんとしている。そんなおばあさんはいくらでもいます。2人ずつ交代でお留守番に行けるといいですね」
これには、講師の小川さんも、おもわずにんまりです。
「立ち読み提案」みたいですが、まさにウィンウィンです。
―――「三人寄れば文殊の知恵」を思わせる会合でした。
二点、大きな進展がありました。
ひとつは、概念の転換です。
図書館だとか、コミュニティだとかいう発想は止めよう。
むしろ、本を中心に考える。
家の本棚に眠っている本に、もう一度目を覚ましてもらう。
そういう「舞台」として考える。
いわば「家本・目覚まし装置」あるいは「本の交差点」といったイメージ。
いま風にいえば、「本のプラットフォーム」です。
モダンに思えますが、こんな話の紹介もありました。
むかし、東京の地下鉄のどこかの(どこだったか、わたしが失念)駅で、改札の近くに本棚が置かれていたそうです。
そばに、こんな案内。
「ご自由にお持ちください、余った本があったら、入れておいてください」
駅長さんの個人的なアイディアだった、といいます。
「駅舎の改装工事でなくなった。でも、何年も本が絶えることはなかった」
――高齢の出席者から紹介のあった挿話でした。
さて、もう一つの進展ーー「お留守番」のことです、
あるおばあさんから、提案がありました。
「一人暮らしで、行くところもない。家につくねんとしている。そんなおばあさんはいくらでもいます。2人ずつ交代でお留守番に行けるといいですね」
これには、講師の小川さんも、おもわずにんまりです。
「立ち読み提案」みたいですが、まさにウィンウィンです。
―――「三人寄れば文殊の知恵」を思わせる会合でした。
2019年11月21日
『私設図書館』をつくる
「自分で勝手に『図書館』をつくる」――いったいどういうことでしょう?
明日(22日)のチャイハナトーク
「わたしの『私設図書館』構想」(講師 小川義夫さん)
です。
――本棚に並ぶ蔵書、子ども部屋やリビングの片隅にある本・・・中には、思い出や感動の詰まった本もあります。そんな本を出し合って、「他者」にも味わってもらう。あるいは、近ごろ盛んな、個人出版の本を積極的に紹介する。そんな活動を通して「読書でつながるコミュニティ」を生み出す。
チャイは光が丘からそう遠くないところに、すでに場所も用意したといいます。
――もし、小川さんの思いや仕組みについて聞いてみたいという方がいらっしゃれば、急な知らせで恐縮ですが、ぜひのぞいてみて下さい。
22日午後2時から 会費は1000円です。
明日(22日)のチャイハナトーク
「わたしの『私設図書館』構想」(講師 小川義夫さん)
です。

――本棚に並ぶ蔵書、子ども部屋やリビングの片隅にある本・・・中には、思い出や感動の詰まった本もあります。そんな本を出し合って、「他者」にも味わってもらう。あるいは、近ごろ盛んな、個人出版の本を積極的に紹介する。そんな活動を通して「読書でつながるコミュニティ」を生み出す。
チャイは光が丘からそう遠くないところに、すでに場所も用意したといいます。
――もし、小川さんの思いや仕組みについて聞いてみたいという方がいらっしゃれば、急な知らせで恐縮ですが、ぜひのぞいてみて下さい。
22日午後2時から 会費は1000円です。
2019年11月20日
チャイハナウォーキング
2019年11月17日
大声張り上げて
チャイハナ光が丘11月17日(日)
午前は、田柄5丁目地域の「感謝祭」
チャイハナ光が丘としては、多分、最高記録。
実に、ほぼ30人が集まりました。
そして、その前でチャイハナ歌声チームが歌いました。

「村祭り」「紅葉」「エーデルワイス」など、誰でも知っている歌10曲ほどです。
午後は、光が丘地区区民館で開かれた「ひかちくオンステージ」に出演。

いずれも司会は家内、、わたしのことを「クチパク」と大ぴらに冷やかします。
しかし、当人は結構、大声を出した満足感があります。
チャイハナ光が丘歌声チームの歌唱力―-どうぞ、「チャイハナ光が丘 動画」で検索してみて下さい。
ユーチューブで、われらが主題歌(?)を紹介しています。
午前は、田柄5丁目地域の「感謝祭」
チャイハナ光が丘としては、多分、最高記録。
実に、ほぼ30人が集まりました。
そして、その前でチャイハナ歌声チームが歌いました。
「村祭り」「紅葉」「エーデルワイス」など、誰でも知っている歌10曲ほどです。
午後は、光が丘地区区民館で開かれた「ひかちくオンステージ」に出演。
いずれも司会は家内、、わたしのことを「クチパク」と大ぴらに冷やかします。
しかし、当人は結構、大声を出した満足感があります。
チャイハナ光が丘歌声チームの歌唱力―-どうぞ、「チャイハナ光が丘 動画」で検索してみて下さい。
ユーチューブで、われらが主題歌(?)を紹介しています。
日本の未来 鳥取西高三酔人
16日夜、高校(鳥取西高)の同級生2人と会食。
一人は、経営学(経営哲学)が専門。
その関係の著書も売れている。
ごく最近、上海の大学に出張講義に行っていて、帰ってきたばかりだ。
もう一人は、かつて、自治省の幹部だった。
(沈んだ)日本の再生が、話題になった。

経営哲学の友人が説くのは、「ジャパニーズネス」だ。
「日本人らしさ、とは何か? そこから出発できる」という。
彼は「日本人らしさ」に具体的なイメージを持っている。
神道(浄穢)I仏教(善悪)I儒教(正義不義)のメタ統合だというのだ・
足し算ではなく、掛け算なのが、一つのみそだ。
つまりは、「一にして二」」「二にして一」の多様性の世界観ということらしい。
自治省OBの友人がいうのは、「連邦制日本」構想だ。
「現場を忘れた(東京の)中央官僚に希望はない。地方の現場から、新しい日本を生み出す必要がある」
――そうはいっても、資金や人材の集中ということは必要だろう? 連邦制で、貧乏国の寄り集まりということにならないか?
「成長とか集中ということではなしに、人間が生きる、そのことの幸せということから考え直す必要がある。考え方を根本から変えるのだ」
わたしの(日本についての)懸念は、中国の影響力。
14億人の市場と、そこで集中される資金は、大変な魔力だ。吸引力でもあり、圧力でもある。
「友好が儲かる」、状況は目の前だ。
「中国と仲よく、うまくやっていこう」の議論は、そのうち(財界を筆頭に)強まるだろう。
そこまでは、いい。正論でもある。
しかし、やがて、あの(中華)強権システムを導入しようという動き(勢力)、そして、同調させようというあちらからの働きかけも強まるだろう。
そのとき(いまの民主主義)日本は、意外にあっさり同調してしまうのではないか?
――経営哲学のいう「「ジャパニーズネス」も、自治省OBのいう「連邦制日本」も、そういう(中国流)強権システムに抵抗する道の模索のように聞こえました。
・・・以上、いささか酔論ですが・・・。
一人は、経営学(経営哲学)が専門。
その関係の著書も売れている。
ごく最近、上海の大学に出張講義に行っていて、帰ってきたばかりだ。
もう一人は、かつて、自治省の幹部だった。
(沈んだ)日本の再生が、話題になった。
経営哲学の友人が説くのは、「ジャパニーズネス」だ。
「日本人らしさ、とは何か? そこから出発できる」という。
彼は「日本人らしさ」に具体的なイメージを持っている。
神道(浄穢)I仏教(善悪)I儒教(正義不義)のメタ統合だというのだ・
足し算ではなく、掛け算なのが、一つのみそだ。
つまりは、「一にして二」」「二にして一」の多様性の世界観ということらしい。
自治省OBの友人がいうのは、「連邦制日本」構想だ。
「現場を忘れた(東京の)中央官僚に希望はない。地方の現場から、新しい日本を生み出す必要がある」
――そうはいっても、資金や人材の集中ということは必要だろう? 連邦制で、貧乏国の寄り集まりということにならないか?
「成長とか集中ということではなしに、人間が生きる、そのことの幸せということから考え直す必要がある。考え方を根本から変えるのだ」
わたしの(日本についての)懸念は、中国の影響力。
14億人の市場と、そこで集中される資金は、大変な魔力だ。吸引力でもあり、圧力でもある。
「友好が儲かる」、状況は目の前だ。
「中国と仲よく、うまくやっていこう」の議論は、そのうち(財界を筆頭に)強まるだろう。
そこまでは、いい。正論でもある。
しかし、やがて、あの(中華)強権システムを導入しようという動き(勢力)、そして、同調させようというあちらからの働きかけも強まるだろう。
そのとき(いまの民主主義)日本は、意外にあっさり同調してしまうのではないか?
――経営哲学のいう「「ジャパニーズネス」も、自治省OBのいう「連邦制日本」も、そういう(中国流)強権システムに抵抗する道の模索のように聞こえました。
・・・以上、いささか酔論ですが・・・。
2019年11月13日
横浜「京大S2」
横浜、12日、空も海も青でした。
60年近く前、一緒に学んだ仲間たちと横浜・みなとめぐりを楽しみました。


「京大S2」――京都大学理学部2組(1960年入学)の同期会です。
50人ぐらいいた仲間のほぼ半数24人が集まりました。



中には、京都や神戸、別府、松山からやってきた仲間もいます。
顔は老いてきても、それぞれに、昔のままといいたい面影を残していました。
そして、何よりも感動したのは、だれもが積極的、前向きに生きていること。
ピアノに打ち込んだり、山登りを続けていたり、施設にボランティアで行っていたり、温泉についてのNPOを立ち上げたり(この人は地球物理)・・・。
「やはり、やること(打ち込むこと)を持っていないといかん」という話が、何人かから出ました。
正直、10年前には、それほど真剣には思わなかったことです。
来年は、京都で会おうということになりました。
60年近く前、一緒に学んだ仲間たちと横浜・みなとめぐりを楽しみました。
「京大S2」――京都大学理学部2組(1960年入学)の同期会です。
50人ぐらいいた仲間のほぼ半数24人が集まりました。
中には、京都や神戸、別府、松山からやってきた仲間もいます。
顔は老いてきても、それぞれに、昔のままといいたい面影を残していました。
そして、何よりも感動したのは、だれもが積極的、前向きに生きていること。
ピアノに打ち込んだり、山登りを続けていたり、施設にボランティアで行っていたり、温泉についてのNPOを立ち上げたり(この人は地球物理)・・・。
「やはり、やること(打ち込むこと)を持っていないといかん」という話が、何人かから出ました。
正直、10年前には、それほど真剣には思わなかったことです。