「世界はいま」と題して、月に一度(第1木曜)国際情勢の解説をしています。亭主が朝日新聞社で最後に在籍した朝日ニュースター(TV)以来ですから、30年以上続いてきたことになります。
今月初め、河野防衛大臣のイージスアショア撤退問題を取り上げました。
イージスアショアの日本配備について、アメリカで「最前線防衛陣」とでもいえそうな発想(国際戦略研)があることを知りました。「米本土を目指して飛んでくるミサイルを撃ち落とす前線基地」、という戦略です。
まるで、日本列島が米本土防衛のための「不沈空母」です。
イージスアショア撤退で、安倍政権から「敵基地攻撃論」が出てきました。イージスアショアがないと、敵の攻撃に対して丸裸。これは困る。ミサイルを撃ってくる敵の基地を攻撃するぐらいのことは(現憲法でも)できるだろう、ということのようです。
「敵基地攻撃」は、考えてみると、『敵軍』も狙うこと。仮にアメリカがどこかの国と戦争を始めたら、その「米軍基地」のある日本が標的とされるのは、当然でしょう。「平和憲法」で、拒絶できることではありません。
日米安保について、「片務性」が問題にされます。アメリカは日本防衛の義務を負うが、日本は(憲法により)アメリカ防衛の義務を負わない、これは不平等だ。だから、日本はアメリカ軍駐留経費を負担しろ、という議論です。
しかし、日本列島がもし、アメリカ本土防衛のための「不沈空母」の役割を果たしているとすると・・・、あるいは、「敵基地」の所在地として日本列島が第一撃を引き受けますということだとすると・・・話は、まったく変わってきます。
「片務性」でいえば、日本の方が圧倒的な加重負担です。日本はアメリカに対して「危険手当」、もっと露骨にいえば「標的・引受料」を要求すべきです。
――以上は、わたしの「世界はいま」の議論の一方です。
議論には、別の「一方」があります。
「中国という危険」が、現実に、東アジアには存在します。
「強権」と「膨張」を生存原則として、生き延びてきた政権です。
その魔手が伸びてくるのを防ぐ――極東の「平和維持」には、中国軍に対するバランサーとして、米軍の駐在は欠かせないように思えます。
日本列島に現に米軍基地がある――これは、個々にどんな意見を持とうと、多数決原則にのっとっていえば、日本国民全体の選択です。
この選択が何を意味するか?
次の2点に要約できます。
@ 米軍優位による東アジアの「平和」維持(への願い)
A その「平和」が崩れ、万一、米国が関わる戦争が勃発した場合、列島が敵軍の「標的」とされ、焦土と化し、国民の相当数が「散華」する(可能性の覚悟)
つまり、「日米安保による平和維持」という選択は、(万一の場合の)大規模な犠牲の覚悟、という前提があって成立します。
考えてみると、ごく当たり前のことですね。
その当たり前を、日本国民一人ひとりにあらためて聞いてみたい気がします。
「あなたは、万一の場合の惨禍を、覚悟していますよね?!」
(念のため、わたし自身は、どちらかといえば「覚悟派」です。中国政権の強権体質の下で暮らすことを考えるなら、米軍の駐留による平和の方がましだろう、という判断です)
無論、だからといって、日本が、「危険手当」を放棄しなければならない、とは考えません。正当な要求は、当然、しなければなりません。
次回「世界はいま」は、8月6日(木)です。
@店長の前職(大学教授)時代の担当ゼミ生の『Yゼミ卒業論文集;先ごろ若者気質』
Aフィールドワークで地域の方々と資料をまとめた『瀬田国民学校 学級日誌』、
Bチャイハナの日々 です。
@ではありのままの若者像を、Aでは戦争の時代にあっても明るく過ごした子どもたちの様子を、Bではチャイハナの日々の様子をお伝えしています
2020年07月30日
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