わたし自身が60年前、(ちょっぴり)加わった安保闘争、いったい何だったのだろう?
考えるうちに、日本国憲法に行き着いてしまいました。
基本的には、いまの日本国憲法は占領時代にできた”暫定憲法"です。
そろそろ、国民の手になる「本格憲法」を考えてもいいのではないでしょうか?
新型コロナで、不景気、倒産、失業・・・とんでもない時代がやってきそうです。
だからこそ、未来に目を向けることが大切だと思うのです。
わたしたちは、どんな国、どんな社会に住みたいのか?
そのことを仲間たちと話し合ってみる。
そんな作業が、日本中、津々浦々のいろいろなコミュニティ、地域社会で行われる。
暗い時代だからこそ、未来に「希望」を探る――ある種の生存戦略としても成り立つと思います。
以下、長い文章になりましたが、とりわけ、“リベラル”を自任する、「日本国憲法・大事」の方々に考えていただきたいと思います。
1)安保闘争を振り返る
<「憲法(9条)を護れ」と「日米安保・反対」は、両立するだろうか?>
そんな疑問を提示したのは、5月の憲法記念日のころでした。そしてとうとう、「安保闘争」の6月です。
もう一度、わたしの最初の疑問を整理します。こういうことです。
「憲法9条を護れ」なら、「日本の防衛は、アメリカに頼む」。
逆に、「日米安保・反対」なら、「自力防衛」――。
それが、通常の論理だろうと思います。
ところが、60年前、(まさしく、わたし自身も街頭に出た)「安保闘争」は、一方で「(日米)安保ハンタイ」を叫び、他方で「憲法を護れ」と主張しました。
いったい、わたし(たち)は何を考えていたのだろう? どんな論理だったのだろう?
(いま思い返して)そこのところがよく分からなくて・・・それが、わたしの問いかけでした。
そして、結局のところ、「尋ねることは、考えること」でした。
わたしなりに考えて、行き着いた答えは、とても単純なことでした。
「東西冷戦」を拒絶した!
そうすれば、「絶対平和」が成立します。
東西冷戦は、戦後世界の基本構造でしょう。それを「存在しない」、あるいは「存在してはならない」と規定する。そうすれば、旧ソ連という「敵対勢力」は消滅します。敵がいないということなら、「国防」は不要です。
1960年といえば、終戦から15年。当たり前のことですが、「戦争」を嫌悪する気持ちは、社会に充満していました。その「平和願望」が、東西冷戦という“現実”を忌避させた、それが、(少なくとも、末端でデモに加わったわたしレベルの)安保闘争だった、と考えます。
もうひとついうと、指導者たちの場合、旧ソ連がよって立つ「社会主義」に対する抜きがたい親近感(憧憬)があったと思います。そんな気持ちが東西冷戦という現実を見る目を曇らせたのではないでしょうか。
@店長の前職(大学教授)時代の担当ゼミ生の『Yゼミ卒業論文集;先ごろ若者気質』
Aフィールドワークで地域の方々と資料をまとめた『瀬田国民学校 学級日誌』、
Bチャイハナの日々 です。
@ではありのままの若者像を、Aでは戦争の時代にあっても明るく過ごした子どもたちの様子を、Bではチャイハナの日々の様子をお伝えしています
2020年06月15日
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