このブログはおもに3つのテーマがあり

@店長の前職(大学教授)時代の担当ゼミ生の『Yゼミ卒業論文集;先ごろ若者気質』
Aフィールドワークで地域の方々と資料をまとめた『瀬田国民学校 学級日誌』、
Bチャイハナの日々 です。
@ではありのままの若者像を、Aでは戦争の時代にあっても明るく過ごした子どもたちの様子を、Bではチャイハナの日々の様子をお伝えしています

2021年03月19日

『学級日誌』が沖縄で・・・

 「わたしたちの『学級日誌』が沖縄で展示されていますよ」――そんな知らせが飛び込んできました。
 滋賀県大津市の「南大萱資料室」からです。
 ポスターも同封されています。
沖縄展示会ポスター
展示の場所は、糸満市の沖縄県平和祈念資料館、28日までです。
開催場所など
 『学級日誌』というのは、1944年度の1年間、大津市「瀬田国民学校」(当時)5年の女生徒たちが描き続けてきた絵日記です。全部で188枚あります。いまは80代半ばを過ぎた筆者の“女生徒”たちは、ほとんどがその南大萱に住んでいらっしゃいます。
 この日誌については、わたしも2冊の本にまとめさせていただきました。無論、「南大萱資料室」の助けがあってのことです。
 2冊の本というのは、『戦争の時代の子どもたち』(岩波ジュニア新書)と『少女たちの学級日誌』(偕成社)です。
開催場所など
 『学級日誌』を目にしたときの驚き―−戦時中というのに、どうして、こんなに明るくて素直な絵や文章が書けるのだろう、という疑問。
 その疑問を追ってゆく中で出会った担任の西川先生や矢嶋校長・・・ポスターを見ながら、様々な人々との出会いが走馬灯のようによみがえってくるのを感じました。
 そして、思ったのは−−記録というのは消えない、こういう風にいつまでも保存されるものだ、ということ。
 そして−−わたしがまとめた2冊の著書もまた、『学級日誌』の”関連グッズ”のような感じで、(わたしを超えて)残ることになるのかもしれない(?)という希望。
それでも、十分に満足できることです。
posted by chaihana at 22:49| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記

2021年03月17日

「折り紙教室」

16日のチャイハナ光が丘。
「折り紙教室」(講師・箕川節子さん)が開かれました。
折り紙箕川.jpg
亭主も参加しました。
折ったのは「歌う小鳥」――左右に引っ張ると、小鳥がくちばしを開いて歌い出します。
わたしの作品です。
歌う小鳥 (2).jpg
紙一枚。それが、指先ひとつで形象となり、動き出す。
極く自然に「没入」してしまいます。
そのことに驚き、そして、いいようもない魅力を感じました。
「もうちょっと続けてみよう」ということになりました。
次回は、4月20日(火)午後1時半からです。
posted by chaihana at 21:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2021年03月12日

 ミャンマーの国軍支配は、中国・共産党支配のミニ版である

門の桃花.jpg
チャイハナ光が丘はいま、門前の桃が満開です。

遅れましたが、今月の「世界はいま」(第一木曜=4日)からの報告です。2月のニュースとしてミャンマーのクーデター(2月1日)も当然取り上げました。
とんでもない(しかし、考えてみれば至極当たり前の)ことに気づきました。ミャンマーにおける国軍支配は、中国の共産党統治は同じだということです。どちらも武力による統治です。
以下、説明してみます。

 まず、ミャンマーの実情。
 ビルマ族がほぼ7割、その他、公式に認められている少数民族が134。1948年の独立は、一面で、英植民当局に優遇された、カレン族、カチン族など少数民族からビルマ族への政権交代です。少数民族側からの独立運動(政府側からいえば内乱)が相次ぎ、いまに至るも中央政府の統治が全土に及んだことはありません。そんな国で、一つひとつの”内乱”に対応し、そうする中で力をつけてきたのが国軍です。いまは、銀行や鉱山会社などいくつもの関連企業、関連政商らを抱え込んだ巨大利権集団です。
そんな国情を背景に、いまミャンマーで争われているのは、次の2つの政治体制をめぐる選択の問題です。
 (A)民主制(民意による統治=選挙で勝った多数派が統治する)
 (B)軍政(武力による統治=実力を持つ集団が統治する)
 どちらにしても、ビルマ族中心の統治であることに変わりありません。
 アウンサン・スーチー女史を中心とする民主派が推進を図り、そして、日米欧などいわゆる先進国が支持しているのが(A)です。
 表立って(B)を支持する国はありません。しかし、沈黙は「(内心)(B)支持」と考えていいでしょう。ミャンマーの「国軍支配」とそれほど変わらない政権であれば、国軍批判はそのまま己に返ってきます。
 中国の共産党支配が、そのひとつです。
 中国共産党は、党員約9200万人(家族を含めると2億7000万人)を呼号する巨大組織です。行政、立法、司法、軍、大衆組織など、社会のあらゆる部門に末端組織を持っています(日系の工場に経営幹部として出向していた方に尋ねたことがあります。――共産党の工場組織ってどんなことをしているのですか? 「それが、分からないのです。書記は、社長室より立派な部屋を与えられていましたが・・・」−--そんな話でした)
その共産党の中核が、中国人民解放軍です。
成り立ちそのものからして国民党との内戦を通してできた軍事国家です。ミャンマー同様、「軍」が巨大な勢力を持つのは当たり前のことでしょう。その表れのひとつが、国家主席より共産党総書記、さらに、党総書記よりも党軍事委主席が偉い、という現実でしょう。そして、総兵力約230万、それに人民武装警察(約66万)を加えた「実力部隊」は、いずれも「党」の防衛組織であって、「国軍」ですらありません。
守るべきは「党支配」であって、「国家・国民」ですらない――??
そんな軍が、本当に「人民解放軍」でしょうか? 「台湾侵攻」が平然と語られるのは、(台湾を「一国」の一部と仮定しての話ですが)、実質は自国民攻撃をためらわない「人民抑圧軍」です。
総選挙があったという話も聞きません。
「民意」をとらえる仕組みすらない。
ひたすら党が「指導する」だけ。
 そんな国が、(A)(B)二つの選択肢でいえば、(B)「武力による支配」に立っていることは間違いないでしょう。
 14億人(漢民族が約9割、55の少数民族)という巨大人口、日本の約26倍(約 960万㎢)という広大な国土を考えると、(A)の「民意による統治」というのはかえって無理なのかなぁ、という気がしないもありません。経験則からして、社会主義とは、本質的に権力的な性格を免れないのではないか、とも思います。
 ともあれ、ミャンマーの国軍支配を非難しながら、中国の共産党支配(人民解放軍支配)を是認するのは、二重基準といわれても仕方ないでしょう。
 「日中友好」を否定するものではありません。しかし、いま世界進出の勢いを見せる中国の統治(支配)の本質についての理解は、頭の隅に置いておきたいと思っています。
posted by chaihana at 01:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記