このブログはおもに3つのテーマがあり

@店長の前職(大学教授)時代の担当ゼミ生の『Yゼミ卒業論文集;先ごろ若者気質』
Aフィールドワークで地域の方々と資料をまとめた『瀬田国民学校 学級日誌』、
Bチャイハナの日々 です。
@ではありのままの若者像を、Aでは戦争の時代にあっても明るく過ごした子どもたちの様子を、Bではチャイハナの日々の様子をお伝えしています

2021年01月23日

94歳、ボランティア 94歳 ボランティア 94歳 ボランティア 94歳、ボランティア

とんでもない(すごい)、お客様
94歳です。
91歳の骨粗しょう症の女性の世話をしています。
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25年前のことです。
練馬区の主催で、高齢者の草津温泉旅行がありました。
写真を撮りました。写真を届けようと彼女の家を訪ねました。
そこで、彼女が倒れてしまったのです。
救急車を手配し、病院に行きました。
彼女の息子、娘は「では、よろしく」と去って行きました。
以来25年間、食事の世話、下の世話・・・ずっと続けてきたといいます。
「ボランティアです。でも、彼女の世話があるから、わたしは元気なのかもしれない」
まるで、新聞の美談記事と思いました。
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2021年01月07日

新春の挨拶「劣化する日本」  チャイハナ光が丘 吉村文成 新春の挨拶「劣化する日本」  チャイハナ光が丘 吉村文成 新春の挨拶「劣化する日本」  チャイハナ光が丘 吉村文成 新春の挨拶「劣化する日本」  チャイハナ光が丘 吉村文成 新春の挨拶「劣化する日本」  チャイハナ光が丘 吉村文成 劣化する日本

新春の挨拶「劣化する日本」  チャイハナ光が丘 吉村文成

●2021年初春――どうにも「めでたい」気持になれないままに過ぎてしまいました。新型コロナのせいだけではありません。「日本が急速に劣化してきた」という思いが消えないのです。
●直接の理由は、先月21日に閣議決定された21年度予算です。歳出107兆円、対して、税収見込みは57兆円ほど。差引50兆円の赤字です。ほぼ同時に決まった20年度・第3次補正予算(約22兆円)も合わせると、129兆円の規模。差引72兆円の赤字ということになります。1億人の分担とすると、一人70万円の負担です。
●普通の家庭や企業なら考えられない予算(会計)でしょう? 新型コロナ対策にカネがかかるというのなら、他は徹底的に絞り込んで、ともあれ赤字幅の削減に全力を尽くすのが常識でしょう? ところが――ほとんど絶句する思いで見たのが、文科省の「35人学級(現行40人)」計画です。担任生徒数の削減は「教育界の悲願(?)」とのことですが、コロナ禍で大赤字のいま、手をつけなければならないことなのでしょうか?
●「生徒の座席の間隔をあける」――コロナを利用したウソのような“へ理屈”!現実は、新型コロナを利用した、文科省の「焼け太り」でしょう。担当者の「してやったり」の満足顔が目に浮かびます。
しかし、それはたまたま分かりやすい一例。「なんとか振興費」とか「なんとか対策費」など漢字を並べた「中身の分かりにくい」費目も、相当部分はそれぞれのお役所の「焼け太り」だろうと、わたしはみています。
●お役人社会の基本は、「序列と競争」です。そんな中で「縄張り」の拡張は、上位者と組織に対する多大な貢献です。担当のお役人が「縄張りの拡張」に血眼になるのは理解できます。しかし、それが野放図に行われては・・・国民には負担になるだけ。お役所の「焼け太り」は許してはならない。民の絶対の常識でしょう。チェックが必要です。
●誰がチェックするか?
 わたしの考えでは、それこそが政治家の仕事です。「国政」を考える。それなら、少なくともいまは、個々のお役所の「焼け太り」は抑えなければなりません。
●メディアにも、同じ役割が求められます。減ったとはいえ相当数の固定読者がいる、視聴者がいる。それはつまり、国民を代表できるということです。民の常識をベースにお役所と戦う。それこそが存在理由です。
現実はどうでしょう?
最近、〈元だったか現だったか記憶はあいまいなのですが、いずれにしても特ダネを連発している〉「週刊文春」編集長の朝日新聞評を読みました。
「オピニオン紙になってきましたね。それも、懐メロの」
 うまい表現、と正直思いました。「懐メロ」というのは、「反戦、平和、反核、いのち、(それに憲法)、政治とカネ・・・」といった昔ながらの主張に新味がないということでしょう。
メディアを名乗る以上、「現代」と切り結ぶ、血の出るような新しい切り口が必要です。100本の「桜オピニオン」よりも、1本でいいから(ハッと驚かせる)1本の「桜ニュース」が読みたい。それが、読者です。
●冒頭で触れた「日本の劣化」に戻ります。なぜ、そんなことを考えたか?
 繰り返すと、57兆円の収入で、129兆円の支出を計上する。経済学者がどういおうと、明確な常識外れです。そして、なんともあきれたのは、そんな予算の中に「35人学級」という明確なお役所の「焼け太り」を入れ込んで恥じない菅政権の無神経さです。
なぜ、そんな“無神経”が許されたか?
第一に、(菅総理をはじめとする)政治家たちがほんとうに無神経、無力なのだろうと思います。国の将来を思う気持ちが本当にはないのかもしれません。
第二・・・メディアです。
問題点を見つけて、国民の声を結集する。ともすれば「焼け太り」を狙うお役所の拡張主義にNOを叩きつけ、阻止に向けて政治家たちの尻を叩く。繰り返しますが、それがメディアの存在理由です。
正直、昨今のメディアは、「問題点を見つける能力」すら失っているのではないか?――かつて、その世界で暮らしてきた先輩のつらい思いです。
第三は、とんでもない赤字予算に怯えることもなくなった、国民の愚かさ・・・。
ダメメディアが安住できる背景です。

コロナの時代だからこそ、こころのどこかに平常心を維持する。そこから世の中を見てゆく。そんな冷静さがいま、わたしたち一人ひとりに求められているように思います。

以上、2021年のわたしの年頭のあいさつとさせていただきます。
                   

posted by chaihana at 20:28| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記