今月の「世界はいま」からの報告です。(念のため、「世界はいま」では、毎月、第一木曜、前月の国際ニュースを素材に国際情勢についてお話ししています。今月は5日でした)
●紹介したいのは、「双循環」という、中国の新しい経済開発プランのことです。先月26日から29日にかけて開かれた、5中総会という中国共産党の重要会議で提起されました。
新型コロナによる経済停滞で、外国資金や海外市場に依存する経済はコリゴリ。これからは「双循環」でいこう――という論法です。
この政策を詰めてゆくうちに、中国についての(わたしなりに)分かりやすい理解に到達したような感じがあります。それについて紹介してみます。
●これまでの中國経済
これからの政策として「双循環」が提起された。すると、これまでの経済体制は「単循環」だったということになります。
どんな仕組みだったのでしょう?
二つの全く異なる「中国」を考えると、分かりやすいように思います。
A・・・アウトバウンド(海外旅行)、爆買いの中国
B・・・「世界の工場」の中国(月収が日本円にして1万6千円ほど、そういう層が約6億人を数えるとのことです)
Aは、大金持ちの中国、Bは、「安価な労働力」の中国です。いずれも、わたしたちが経験的に知っている中国です。
AとBが両立する経済体制、それが「単循環」です。

(外国依存ということを加味して)非常に単純化すれば、こういうことです。
外国からの資金を入れて、Aがインフラや設備投資を進め、Bを(安く)働かせ、その製品を海外市場に売り込む。無論、儲けはAの懐に入ります。間接的には、外国企業も、外国の消費者も、このシステム(つまり、約6億人の安い労賃)の恩恵をうけています。
Aは、管理者としての党関係者、行政関係、商人など・・・要するにインテリあるいは都市住民が想定されます。
そう、隋・唐以来の「花の都」のイメージです。「2つの中国」という体制は、隋・唐時代も、習近平時代も、ほとんど変わらないように思います。
それにしても、社会主義革命の結果、行き着いたのが古来の「帝政」に似た仕組みだったというのは、ある種、驚きです。
●さて、これからの経済政策として打ち出された「双循環」です。
「双」だから、二つの循環が想定されています。
ひとつは、これまで通りの外国資金、海外市場(需要)を利用する循環です。しかし、これは頼ってはならないというのが、新型コロナの教訓です。
そして、本当にこれから育てたいと考えているのが、もう一つの循環です。国内資金、国内市場(需要)に頼る循環です。
具体的には、Bの所得を引き上げ、「国内市場」として育てる。そのことを通して、経済の循環を確保する、という経済体制です。
可能でしょうか?
非常に困難なことのように思えます。Bの所得を増やすには、Aの配分を減らさなければなりません。習近平体制を支える人たちです。
彼らが自らの減収になるような政策を許すでしょうか?
非常に疑問に思えます。
●もう一点、社会の「分断」と民主主義のこと。
A,B二つの社会の併存というのは、産業革命、市民革命に始まる近代以前の国々にあっては、ごく普通のことでしょう。
たとえば(たまたま大統領選挙の関係でアメリカのことを考えてしまいましたが)南北戦争以前のアメリカの奴隷制度も、いまの中国と似たようなものだったのではないでしょうか?
そのように考えると、「差別」というのは、単純に肌の色や民族の問題とはいえないのかもしれないと思えてきます。むしろ、Aの(働かせる)市民とBの(働かせられる)市民という、役割の違いが根底にある可能性はないでしょうか?
アメリカの大統領選挙の関わりで「分断」という言葉がよくつかわれました。近代市民革命以来の市民社会としての一体性が崩れてきている、ということはないでしょうか?
同じことは、大統領がイスラム教徒相手に「宗教を冒涜する自由」を説くフランスにも、あるいは、非正規だの派遣だのといった雇用の進む日本にも感じます。
国という集団を構成する市民社会の一体性が薄れつつある、ということはいえないでしょうか?
社会がそんな風になったとき、民主主義は維持されるでしょうか?