このブログはおもに3つのテーマがあり

@店長の前職(大学教授)時代の担当ゼミ生の『Yゼミ卒業論文集;先ごろ若者気質』
Aフィールドワークで地域の方々と資料をまとめた『瀬田国民学校 学級日誌』、
Bチャイハナの日々 です。
@ではありのままの若者像を、Aでは戦争の時代にあっても明るく過ごした子どもたちの様子を、Bではチャイハナの日々の様子をお伝えしています

2020年06月29日

今日のわたし

6才わたし.JPG
雨の日曜日、6歳のお嬢さんが、お客さまです。
知らないうちに、チャイハナ光が丘を写生していらっしゃいました。
真ん中の大きいのは、ガラスの花瓶に持ったアジサイ。
6才の娘.JPG
右手の、両手を広げた、小さな人物がわたしです。
Kい前掛けをしています。
そのほか、こまごました飾り物・・・。
お兄さんと一緒に、ご両親に連れられていらっしゃいました。
ありがとう!
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2020年06月19日

練馬エッセイクラブ「エッセンシャル:ウイルス」

19日は、隔月で開催している練馬エッセイクラブの例会日です。
スカイプ参加を含め、興味深い集まりでした。
あたえられたテーマ(主題)は、「ウイルス」。
わたしの原稿を紹介します。
(ただし、提出原稿を若干修正しています)
 吉村20年6月 テーマ「ウイルス」
  「エッセンシャル」ウイルス    吉村 文成

 四月中旬に一週間ほど入院した。時節がら「新型コロナ?」と心配されそうだが、そうではない。三年前との比較で心臓の肥大が分かったためだ。六本木にある、きれいな病院だった。
 入院中ある種、感動したのは、掃除のおじさんの働きぶりだった。病床周辺は無論、トイレ、廊下…毎日まいにち、きちんと汚れを拭きとっている。
 「エッセンシャル・ワーカー(欠かせない労働者)」――「コロナ騒ぎ」で知った、新しいことばである。平たくいえば、感染が広がるなかでも「休めない」労働者ということらしい。
「ああ、こういう人たちなのだな」と、その掃除のおじさんの仕事ぶりを見ながら、素直に思った。どちらかといえば、「影」の仕事だ。しかし、こういう人たちがいるから、社会は、なんとか回っている。
 エッセンシャルの反対語は、「不要不急」だ。具体的には、コロナ騒ぎで「出社に及ばず」とされた会社員や、休業を余儀なくされた業種を指す。たしかに、喫茶店や飲み屋も、あるいは、プロ野球や大相撲も「あってもなくてもいい」感じがある。わたしの運営する小さなコミュニティカフェも、その一味だ。
 そんなことを考えていたところに、フェイスブックで、若い友人がジャカルタから投稿しているのを見つけた。有名な楽器店の写真に、こんなコメントがついていた。
 「一日も休みませんでした。音楽は欠かせません」
 ガーンと頭を殴られたような気がした。
 考えてみると、世の中に「不要不急」な仕事(職業)などあるわけがない。いろんな「仕事」があり、そのネットワークとして「社会」がある。甲乙なし、現実に「ある」というだけで、あらゆる仕事が「エッセンシャル」だと考えるべきだろう。仕事に限らない。世の中に「ある」ものはすべて、まさにその「ある」という理由によって「エッセンシャル」だといえる。無論、新型コロナウイルスも、その例外ではない。
 たまたまなのだが、入院に際して、サルの研究で有名な動物学者・今西錦司の著書を持ち込んだ。こんな一節があった。
 「(生物社会は)利用できるものは、遊ばせておかない。すべて利用する」
 今西は、「棲み分け」という概念に立脚した、独自の進化論で知られる。ヒトは道具を使うことで多様な環境に適応したが、他の動物や植物は、自らの遺伝子を変えることで、新しい環境に適応する。それが、「新種」の誕生、つまり進化ということだ、と説く。無論、すでに数百万種類の動植物が先住している自然界だ。「新しい環境」といっても、せいぜいが「隙間=ニッチ」でしかない。
 この考えを新型コロナウイルスに適用してみる。コウモリか何かを宿主としていたウイルスが、ヒトの細胞の中に「まだ遊んでいる隙間」をみつけ、自らの遺伝子を変えて棲みついた、ということになる。そんな「隙間」を提供したヒトの側にも、この新型が生まれた「原因」がなかった、とはいい切れないだろう。
 人類社会は、繰り返し疫病の大流行を経験してきた。そして、そのたびに大きな「時代の転換」があった。見方を変えれば、行き詰った旧時代が疫病を呼び寄せ、新時代への転換をもたらした、と解することもできる。
 新型コロナウイルスがわたしたちに封じたのは、「動くこと」と「集まること」である。ところが、わたしにいわせれば、この二つこそが、いまの人類社会の根本原理だ。「より速く、より遠く」、そして「より多く」を目指すことで、少なくとも現代文明は発展してきた。
 ちょっと急ぎ過ぎたのではないか。がむしゃらに「動き(動かし)」「集まる(集める)」ことを目指してきた文明が行き詰り、ブレーキを求めた、ということも考えられるのではないか。
                  (35x49行=1715字)

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2020年06月18日

カール・マルクス「資本論」

コロナ自粛が終って、チャイハナ光が丘も恐るおそる始動を始めました。
18日午後は、秋山ちづる先生のピアノ教室です。
生徒さんのひとりが、玄関の片側がいっぱいになるほどの書籍をご持参なさいました。
「小川義夫さんの"私設図書館“に届けたい」
日本近代文学全集、日本の民話集などがそろっています。
小川さんに連絡しました。
本を小川さんの車に積み込むのに立ち会って、びっくり!
カール・マルクス「資本論」全5冊もそろっています。資本論.JPG
――そのお客様の「青春」を想像し、わたしたちも共有した「時代」が浮き上がってくるのを感じました。
posted by chaihana at 22:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

緑陰音楽会2

美しい歌声が、練馬区田柄5丁目周辺に流れました。
新型コロナで4,5月と休んだ「チャイハナ歌声喫茶」
3カ月ぶりに、17日午後開催しました。
新型コロナを警戒して、庭が舞台。「緑陰音楽会」となりました。WS000003.JPG
(確信)気持ちいい歌ばっかり、苦情はありません。
(実は)冷や冷や!
 コロナのおかげの新体験です。
 緑陰音楽会の続きは、お客様による「フェイスガード実作講習会」です。WS000005.JPG
 原価100円で、実際にできてしまいます。WS000000.BMP
 市販のものだと500円です。
 「飛沫を飛ばさない」=「(わたしが感染しても、あなたにはうつさない)」――そんな意思表明の道具??
 「(わたしが感染しても)、あなたにはうつさない)」――腹をくくれば(?)、マスクよりずっと楽です。
posted by chaihana at 01:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

緑陰音楽会

美しい歌声が、練馬区田柄5丁目周辺に流れました。
新型コロナで4,5月と休んだ「チャイハナ歌声喫茶」
3カ月ぶりに、17日午後開催しました。
新型コロナを警戒して、庭が舞台。「緑陰音楽会」となりました。
(確信)気持ちいい歌ばっかり、苦情はありません。
(実は)冷や冷や!
 コロナのおかげの新体験です。
 緑陰音楽会の続きは、お客様による「フェイスガード実作講習会」です。
 原価100円で、実際にできてしまいます。
 市販のものだと500円です。
 「飛沫を飛ばさない」=「(わたしが感染しても)、あなたにはうつさない)」――そんな意思表明の道具??
 「(わたしが感染しても)、あなたにはうつさない)」――腹をくくれば(?)、マスクよりずっと楽です。WS000004.JPG
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2020年06月17日

体育館でウォーキング

なんだか寂しい感じですが。17日のチャイハナウォーキングです。
実は。先週からすさまじい方針返還をしました。光が丘公園を歩くのではなく、光が丘体育館の観覧席の外周コールを歩くーーそんな形に切り替えたのです。冷房が効いている、マスクをしなくてもいい、そしてなによりも、それぞれがそれぞれのスピードで歩ける、というる点があります。毎週水曜午前10時、光ヶ丘区民館(バス停前)1階待合室で落ち合って出発します。
WS000000.JPG

posted by chaihana at 22:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2020年06月15日

憲法改正を提起する

3)日本国憲法の矛盾
その矛盾は、現実には、誰でも知っている、「魔法の言葉」で乗り越えられてきました。「自衛のために」という一言です。それが、「解釈改憲」です
考えたら、とても不思議なことです。「戦力NO、戦争(交戦権)NO」の日本国憲法が、「自衛」というひとことをいれることで、「戦力OK、戦争OK」に変わってしまう!
「戦力NO、交戦権NO」→「自衛のため」→「戦力OK、交戦権OK」
この論理展開は、「敵性国家の拒絶」によって、「憲法を護れ」と「安保ハンタイ」を両立させた、60年前の安保闘争とそっくりです。
4)憲法改正を提議する
60年前の(わたしの)安保闘争を整理したいという思いで書き始めて、とうとう、日本国憲法に行き着いてしまいました。
正直にいえば、触れたくない主題でした。日本国憲法に触れるというだけで、きっと多くの友人たちが(内心)怒り、軽蔑し、去ってゆくことになるでしょう!
勝手にそんなことを思いました。なかなか書き進められなかった理由です、
しかし、結局のところ、憲法をとり上げなければなないだろう、という方向に気持ちが切り替わりました。
さきほど見た通りですが、日本国憲法には、ふたつの顔があります、「戦力NO、戦争NO」の絶対平和主義の顔と、「戦力YES、戦争YES」の解釈改憲の顔です。
 両者が、内容において真反対であることは明白です。それをひとつの器に入れる。ときと状況に応じて、都合のいい方を取り出して眺める、議論する!
「賢い」といえば、そうなのかもしれません。しかし、本質において欺瞞であることは、間違いありません。国家の根本法典が重大な欺瞞に立脚しているということ。そのことが、無意識のうちに、わたしたちの精神を蝕んでいる可能性はないでしょうか?
「真実」や「事実」に対する態度を曇らせている可能性はないでしょうか?
根本において、日本中で「不信」を育てている可能性はないでしょうか?
少なくとも、内心の「自己不信」は否定できないのではないように思います。
(わたしの勝手な思い込みかもしれませんが)これまで憲法改正をいい出せば、「保守反動」のレッテルを張られて身動きできなくなるような雰囲気がありました。
しかし、あえて、踏み込みます。
いわゆるリベラルこそが、きちんと憲法に取り組む必要があるのではないでしょうか。
「自己欺瞞」を直視する。そして、憲法「改正」アレルギーを脱却する。
憲法は、なにも、安倍首相の専有物ではありません。「改正」をいうのが、保守の特権ということもありません。憲法は、国民みんなのものです。日本国憲法の欺瞞を直視する。そして、わたしたち自身の憲法、わたしたちの時代の憲法をみんなで考える。なにか不都合があるでしょうか?
新型コロナ騒ぎで、世界中、国や社会の在り方が変わりそうです。未来が見えないいま、不安でいっぱいのいまだからこそ、未来に正面から向き合ってみる。そのことで不安を希望に変える。そんな生存戦略もあるように思います。
コロナ休息ともいえる時期、たまたまなのですが、ズームやスカイプといったネットの仕組みを通して、いろいろなテーマを掲げる、いくつもの市民団体、地域団体の存在を直接、知ることができました。
そんなコミュニティで、それぞれに、少しずつでも話し合っては、どうでしょう?
わたしたちはいったい、どんな社会、どんな国に住みたいのか?
ちょっとした、身近な疑問や課題を掘り下げてみる。そして、希望に切り替え、可能性を探ってみる。日本のこと、世界のことを考える。その考えを、ことばにしてみる。
そんな作業が、日本全国、津々浦々の無数のコミュニティで(それぞれ、ほんのちょっとであっても)展開される。
もし実現すれば、新型コロナ騒動が希望に切り替わる、そんなチャンスのようにも思えるのです。
最後にもう一度、繰り返します。
わたしたちは、どんな社会、どんな国に住みたいのか?
それを、ことばにしてみる。
――わたしの考える、「憲法改正」の出発点です。
ご批判、よろしくお願いします。

posted by chaihana at 07:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

安保闘争を振り返る

 わたし自身が60年前、(ちょっぴり)加わった安保闘争、いったい何だったのだろう?
 考えるうちに、日本国憲法に行き着いてしまいました。
 基本的には、いまの日本国憲法は占領時代にできた”暫定憲法"です。
そろそろ、国民の手になる「本格憲法」を考えてもいいのではないでしょうか?
 新型コロナで、不景気、倒産、失業・・・とんでもない時代がやってきそうです。
 だからこそ、未来に目を向けることが大切だと思うのです。
わたしたちは、どんな国、どんな社会に住みたいのか?
そのことを仲間たちと話し合ってみる。
そんな作業が、日本中、津々浦々のいろいろなコミュニティ、地域社会で行われる。
暗い時代だからこそ、未来に「希望」を探る――ある種の生存戦略としても成り立つと思います。
以下、長い文章になりましたが、とりわけ、“リベラル”を自任する、「日本国憲法・大事」の方々に考えていただきたいと思います。
1)安保闘争を振り返る
<「憲法(9条)を護れ」と「日米安保・反対」は、両立するだろうか?>
そんな疑問を提示したのは、5月の憲法記念日のころでした。そしてとうとう、「安保闘争」の6月です。
もう一度、わたしの最初の疑問を整理します。こういうことです。
「憲法9条を護れ」なら、「日本の防衛は、アメリカに頼む」。
逆に、「日米安保・反対」なら、「自力防衛」――。
それが、通常の論理だろうと思います。
ところが、60年前、(まさしく、わたし自身も街頭に出た)「安保闘争」は、一方で「(日米)安保ハンタイ」を叫び、他方で「憲法を護れ」と主張しました。
いったい、わたし(たち)は何を考えていたのだろう? どんな論理だったのだろう? 
(いま思い返して)そこのところがよく分からなくて・・・それが、わたしの問いかけでした。
そして、結局のところ、「尋ねることは、考えること」でした。
わたしなりに考えて、行き着いた答えは、とても単純なことでした。
「東西冷戦」を拒絶した!
そうすれば、「絶対平和」が成立します。
東西冷戦は、戦後世界の基本構造でしょう。それを「存在しない」、あるいは「存在してはならない」と規定する。そうすれば、旧ソ連という「敵対勢力」は消滅します。敵がいないということなら、「国防」は不要です。
1960年といえば、終戦から15年。当たり前のことですが、「戦争」を嫌悪する気持ちは、社会に充満していました。その「平和願望」が、東西冷戦という“現実”を忌避させた、それが、(少なくとも、末端でデモに加わったわたしレベルの)安保闘争だった、と考えます。
もうひとついうと、指導者たちの場合、旧ソ連がよって立つ「社会主義」に対する抜きがたい親近感(憧憬)があったと思います。そんな気持ちが東西冷戦という現実を見る目を曇らせたのではないでしょうか。
posted by chaihana at 07:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記