このブログはおもに3つのテーマがあり

@店長の前職(大学教授)時代の担当ゼミ生の『Yゼミ卒業論文集;先ごろ若者気質』
Aフィールドワークで地域の方々と資料をまとめた『瀬田国民学校 学級日誌』、
Bチャイハナの日々 です。
@ではありのままの若者像を、Aでは戦争の時代にあっても明るく過ごした子どもたちの様子を、Bではチャイハナの日々の様子をお伝えしています

2017年11月24日

「起業」の勧め・・「転職」の勧め でも元気の出るトーク

「日本人にもできる、いまアメリカで注目されているスタートアップ企業」
 これが、23日午後の「チャイハナトーク」のタイトルです。
 講師の坂本明男さんは、NEC(日本電気)のOB。実際にシリコンバレーで3社を起業した、特許40件を持つ起業家です。
 日本円にして何億、何十億円という資金をvcから獲得したシリコンバレー昨今の新興企業がいくつも紹介されまた。
 「アイディアが勝負だ」というのが、坂本さんの主張です。
 でも、わたしが思ったのは「考え方」でした。
 「いろんな仕事をしてきたが、腕に仕事がないとだめだ。そう考えて、介護の学校に行くことにした」という、まだ20代の女性が会場にいました。
 彼女に対するアドバイスを求めました。
 「介護? 宝の山ですよ。頭で考えることは、現場にはかなわない。毎日、今日とは違う明日のことを考える。何がないか? 何が求められているか? 世界に売り出すビジネスのタネはいくらでも出てくるでしょう」
 「3年間、そういうことを続けたら、次は社長です。あなたがCEOになる」
 ――以上は、今日のやりとりの一部です。
お話しはほんとうに面白かったのですが、いまは、坂本さんから頂いたパワーポイントから2ページだけ紹介しましょう。
 まず、(産業社会として成功した)日本が知的情報化社会に脱皮するにはどうすればよいか、という提案。
 答は、簡単にいえば、転職の勧めです。
ダメな会社はさっさと辞めて、まともな会社に移れ――ということ。
 そうすれば、経営者は「従業員を大切にする」知的情報化社会にふさわしい経営を目指さなければならなくなるでしょう。
 どんな会社がダメな会社か? 快適に働ける会社とは、どんな会社か?
 とても面白い。図を見てください。
 パワーポイントの最後の1枚。
 「(他人と)違うことを恐れるな」あるいは「あえて(他人と)違うようにしろ」ということ。
 日本人が極端に苦手とする生き方です。
 それをするには・・・「勇気」というタイトルがついています。
 そして、「20年後は、アイディアとディシジョンのできない人は必要なくなる」
 件の介護で生きたい若い女性には、こうおっしゃいました。
 「今日、起業のことを考えてここに来た。そういう行動、そういう決断。それが大切なんだ」
 陶芸をしている女性には・・・「世界マーケットを考えてください」
 坂本さんの個性あるいは伝染力といったらいいでしょうか。
 最後はみんな、勇気と元気が出てきたような、そんなチャイハナトークでした。
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最後の1枚.JPG
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2017年11月22日

「起業」を考えるなら・・・

やはり明日、11月23日(勤労感謝の日) 
こちらは午後です。
「起業」を考えてみたい、という方はぜひ・・・。
ふらっと覗いてみて下さい。
老いも若いも・・・年齢は関係ありません。
一丁挑戦してみたい、その心です。
講師は、日本を元気づけたい、ということのようです。
お待ちしています。
坂本ビラ.docx
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「兎月園」と「花岡学園」の跡を巡る

明日、23日です。
午前10時、東武東上線 成増駅改札集合です。
雨模様ですが、相当な荒れでない限り決行しよう。
そう案内人と話し合っています。
しっかり寒さ対策をして、いらっしゃってください。
まち歩き.JPG
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2017年11月07日

チャイハナトークのお知らせ

             ご案内
 チャイハナトーク
『日本人にもできる、
いまアメリカで注目されているスタートアップ企業』
講師 坂本明男さん
   11月23日(勤労感謝の日)午後2時から 
    場所 チャイハナ光が丘

坂本さんは、NEC(日本電気)OBで米国在住30年、実際にシリコンバレーで3社を起業した、特許40件を持つ起業家です。

「2017年のアメリカのスタートアップ企業を紹介したい。(学生たちが見て)、これだったら自分達でも出来る、 自分も起業をしたい、 アイデアを考え出す習慣を身に付けたいと思うようになってほしい」
これは、学生に限ったことではありません。人生90年時代です。60代でも70代でも、(もちろん、定年前の50代でも)、起業は可能です。
「シリコンバレーの垣根は高いと思っている方が多いと思いますが、『なんだ、自分でも出来るわ、チャレンジしたい、 やってやるぞ』と思うようになって欲しい。そんなプレゼンにしたい」
――坂本さんとのメールのやり取りからの抜粋です。
坂本さんの思いを聞いてみませんか?
新しい「出発」を探ってみませんか?
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2017年11月04日

まち歩き 東京練馬区 幻の遊園地と理想教育の場を尋ねて 参加者募集中

「まち歩き」参加者募集中です。
いまの練馬区旭町に関東随一(当時の新聞)といわれた遊園地がありました。また、光が丘公園北西ゲートのあたりには、大正ロマンの理想を追った、寄宿制の私立小学校がありました。この地域がまだ武蔵野の面影を強く残していた、大正時代の終わりごろから、戦争が激しくなる昭和18年ごろにかけてのことです。
11月23日、その現場を訪れてみる予定です。お電話ください。

チャイハナ 花岡学院ポスター正1.pdf
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2017年10月24日

 「何をして、どのような人生を生きるか?」

 先日(20日)関学国際学部(西宮市)の講義に行ってきました。
 今秋に始まって5回目、今回のテーマは「情報化社会に生きる」です。
表題に書いた「何をして、・・・」を、講義を通して考えて欲しいことのひとつとして、最初に伝えておきました。そして、最後に、そのことについての短文を(出席票代わりに)求めました。
そこで出てきた短文の一部(のそのまた一部)を紹介します。「いまの若者」の一面の紹介です。同時に思うのは、だれにもこんな年代があったのだ、ということです。

(その1)
 「福祉の仕事に就きたいです。社会生活で生きづらさを感じている人が生きやすくなる手助けができたらいいなと思っています」(人間福祉2年)
 「人とモノをつなぐ役目を果たし、関わる人とモノのすべての幸福度を上げることを行って、ヒトの幸福を通じて自分の幸せを感じられるような人生を目指したい」(経済、4年)
 「営業職が自分に向いていると感じています。アルバイトでガソリンスタンドで働いており、接客業をしていく中で、そこにすごく興味が引かれているので、このようにしたいと思っていいます。将来は自分の会社の社長という夢もあります。幸せな(堅実な)家庭も築いていければよいなと思っています」(経済3)
 「人とたくさん関われる仕事に就きたい。・・・大人になっても、たくさん人とかかわって成長し、関わった人すべてに感謝できるような人生を目指したいです」(商学3)
 「服飾の仕事をして海外にも行き、自分のモノの見方や考えを広げてゆけるような人生を目指したい」(商学2)
 「資格を取って手に職をつけて、ある程度おカネを稼げるようになったら、好きなことをしたり、行きたいところに行ったりして、ある程度社会に縛り付けられない生活を送れるような人生にしたいです」(商学2)
 「私は将来、国をよりよくできる仕事に就きたい」(商学2)
 「結婚して子供ができて孫ができるような人生になりたいので、人との出会いを大切にしたい」(商学2)
 「・・・最低限やらなければならないことをきちんとし、それに加えて、輝ける人生を過ごしたいです」(商学2)
 「市役所で働き、安定した収入を得て、一般的な家庭を築いてゆきたい」(社会2)

       (その2)
 「新聞記者になって、社会を動かしてゆきたい」(社会3)
 「結婚して専業主婦になり、平和な家庭を築きたいです。キャリアウーマンより、料理や掃除センタ奥の方が自分には向いているように思います。・・・」(社会2)
 「観光会社に勤め、イベント企画や外国人を楽しませるような企画をつくって・・・。結婚は二の次だと考えており、よい出会いがあればしたいですが、まずはやりがいのある仕事につきたい」(社会2)
 「「人の相談に乗ることが好きなので、そういった仕事がしたい。それぞれの人が助け合って生きるような、そんな世界にいる一人として生きたいと思う」(社会3)
 「普通の企業で安定した収入を得て、自分の好きなことを全部する」(社会2)
 「投資家になります。そのためにまず証券会社に入り、いずれ起業し、株でお金持ちになります。後のことはそのとき考えます」(文2)
 「自分で意思を持って選択できるような人になりたい」(文2)
 「アナウンサーになりたい。何らかの形で社会に貢献したいという思いからだ」(文2)
 「・・・誰かの背中を押せる人、誰かのサポートをこっそりとできる人、人生にしたいです。・・・親が子供の人生を陰ながら支えるように」(文2)
 「公認心理士の資格を取り、医療か教育の現場に立ちたいです。学校の教師や生徒のメンタル面を支え、ストレスの多い社会ではけ口になれるような人になりたいです」(文2)
 「自分や家庭のための時間がしっかりとれる企業に就職したい」(文2)

      (その3)
 「これまで日本が背を向けてきた多様性や移民、多文化化に関わる仕事に就きたい。・・・これからの日本社会をよい方向に革新できるように働きかけたい」(國際2)
 「・・子供ができたら、やりたいことをサポートしてあげるような大人になりたい」(國際2)
 「自分の時間を十分とって充実した人生を目指したいです。そのためには社会の労働に対する意識や風潮、家計する法や制度が変わっていかないといけません。選挙はこれと関係あると思います。今週の投票にはしっかり考えて参加しようと思います」(國際2)
 「公認会計士になりたい。子どもを3人つくって、ハッピーな生活を築きたい」(國際3)
 「世界中の人と関わり、それで自分自身が成長でき、また周りによい影響をあたえられるような人になりたい。・・・具体的には外資系のキャビンアテンダントになることで人生を始めたい」(國際3)
 「私は(facebook, twitterなどの)SNSを通して自分の考えや特技を写真や文にして発信している。そうすることで、思わぬ人から、何かの事業の開発や、イベントに出店するといったことに誘われた。こうして夢を広げられるのは、情報化社会の強みだろう」(國際2)
 「私が目指す人生は、日本の伝統文化を多くの人に伝えてゆくことです。茶道と着物が好きなので、いつかその先生になりたいと思っています」(國際3)
 「・・・私は人と話す時の笑顔を大切にしているので、それを人生ずっと継続したい」(國際4)
 「外国と日本の架け橋になるような会社に就職し、自分からビジネスプランを立ち上げ、それを実際に海外のフィールドで実践できるような国際的なビジネスパーソンになりたい・・・(國際3)
 「・・・一生懸命仕事をし、家族が何の心配もなく、そして、こどもには好きなことをできる限りやらせて、自分の得意なこと、興味を見つけて欲しいです」(國際2)

――― すっかり長くなってしまいました。もし、もっと見てやろうという(奇特な)方がいらっしゃたら、どうぞ、わたしのブログを見てください。
http://chaihana.sblo.jp/

          (その4)
 」マヨネーズをよく使うので、マヨネーズなどの工場で働きたい。日本のマヨネーズのすごさを世界に発信できるようなアイディアをもった人になれたらと思っている。将来的には自分のマヨネーズの会社を立ち上げてみたい」(國際2)
 「・・物心ついた時から憧れていた航空関係の仕事に決まりました。・・・激務薄給でもやりたい仕事だとやりがいを感じながら楽しく働けるのではないかと的を絞って就職活動をした。・・・」(國際4)
 「映画館をつくりたい、テーマを決めて、昔の映画なども上映したい」(國際2)
 「日本と中国の架け橋になれるような仕事に就きたい」(國際3)
 「・・・誰からも必要とされない人間が無意味だと考えているので、人のためになることをいつも頭の隅で考えるようにしています」(國際3)
 「来春から実際に教員として働く。(IoTの導入などもあるが)人と人の直接的なふれあいによってのみ、人間的感情は育まれるものだと思う。そんな教育ができる教師を目指したい」(國際4)
 「医療機器や生活用品など人の命や生活を支える企業に就職したい。国際協力にも関わりたい」(國際3)
 「来年から玩具メーカーで働きます。おもちゃを企画開発し、これから生まれてくる未来のことも立ちに夢をあたえたいです。個人的には、その夢をかなえつつ、結婚し。3人以上生んで、少子化対策に貢献したいと考えています」(國際4)
 「死ぬときに、やり残したという後悔がないような人生にしたいです」(國際3)
 「教師になって、どのような環境で育った子供でも平等に学校に行けて、勉強でき、こころの成長ができるような環境づくりを目指したい・・・・いま途上国での教育を勉強しており、・・・将来の子どもたちがさまざまな夢をかなえるようになってほしいと思っている。わたし自身もその経験を通して、こころの広い、成長した人になりたい」(國際2)

       (その5)
 「クレジットカード会社に勤めて、日本でのカードのシェア率を高める仕事に就きたい。(これは)決められたことを単にこなすのではなく、まだ見ぬ世界を実現するために自分自身の行動次第で違う未来を見られるからです。・・・」(國際3)
 「人々と暮らしをよくできるよう、貢献する仕事をしたい。人が不便なく暮らすためには充実したサービスや保障が必要不可欠である。行政にかかわっていきたい」(國際3)
 「AIということばを踏まえて将来を考えると不安になります。・・・私は文系なので将来AIにとってかわられそうな職種の方が選択肢が多いような気がします。・・・そうした不安を外して考えた時に、私がしたいと思う仕事をするべきだと思います。金銭の実を追い求めるよりも、自分で満足できることをしなければ、自分の心が死ぬと思うからです。・・・自分は国境を越えて、世界で貧困や紛争などの苦しみの中にある人々を助ける仕事がしたいです」(國際2)
 「スポーツ用品店でスポーツ用品を売る人になりたい。スポーツを頑張っている人は、どんなに結果が出ていなくても、とてもかっこいいです。そんな人を応援したい、手助けしたいという思いからです」(國際3)
 「留年が決まっているので、1年間考える。・・・私は友達との時間を特に大切にしているので、飲みにいける時間とお金があれば充分であると考えている。そういう人生が送れればいいと思う」(國際4)
 「・・・安全保障に関する知識を大学院で身に着け、平和の力で国を強くすることを目zしたい。・・・職業として外交に関わりながら、世界で人々が安全安心に暮らせる社会を築いてゆこうと思う」(國際3)
 「キャビンアテンダントになりたい。世界のひとつでも多くの国に行き、文化の違いや同じだと感じるところ、人と直接話をしたり、国の雰囲気を味わうために観光したり、自分の視野を広げて楽しむことのできる人生にしたい。友人や家族を大切にし、たくさん笑い、たくさんのことに挑戦して、日々成長できるような充実した人生にしたい」(國際2)
「春から○○銀行に就職します。プロジェクトファイナンスで、国際問題を事業として解決するための融資をしたいです。・・・みんなが上を目指して競争できるためには、平等な社会が必要である。その社会を作るためにはインフラ整備が必要であり、その整備の手助けをしたい。世界に役立てる、すこしでも社会にとって意味のある人生を目指したい」(國際4)

  ・・・以下略・・・
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2017年06月21日

歌でつづる昭和史

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こんな集いを開きます。
「歌(CD)とお話し」
楽しみです。
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2017年06月11日

田辺功さんの「老いるということ」

9日のチャイハナトーク・・・。「老いるということ」がテーマです。
講師は、朝日新聞科学部で医療記者としてならした田辺功さん。
以下、要点筆記です(正確には、わたしがたまたま聞き取り、メモや記憶にしたことば、聞きながら考えたことのいくつかです)
いきなりですが、田辺さんが説いたいくつかの名言――
●医師は、健康を知らない(知っているのは――間違いだらけの――学説)。
●記者は、病気・健康とも知らない(間違った判断、ピンボケの報道へ)。
●病院は、直さない(メリットがない、腕がない、直したくない)
●健康のためによいのは(いろいろあって、省略 それから)夫が死んだ後の妻(妻が死んだ夫は――多分、ダメだが・・・)
●夫に早く死んでもらうには、(ここは、星且二氏の引用)
@役割をなくす 
A楽しいことをさせない 
B働かせない 
Cお金を取り上げる
●長寿を妨げるのは、
@医師(間違い医療)
A家族(医師や医学情報を過信)

さて、「老いる(歳を取る)」とはどういうことでしょう?
ヒトの身体も、例えば自動車と同じように、さまざまな部品(パーツ)でできていて、時間が立てば、ガタが来ます。
しかし、耐久性は、部品によって違います。
すべての部品の耐久性を上げるのは、無理です。
(時間の経過とともに、やがて)どこかで大きな故障が生じます。
その故障したパーツに合わせて生きていかなくてはならない、
そのことが、「老いる」ということ――のようです。

同じことを、別の角度から見てみます。
わたしたちの身体を構成する細胞は、日々、生まれ変わっています。
新陳代謝といいます。
元の細胞のコピーともいえる新しい細胞が日々生まれ、古くなった細胞は死んでゆきます。
さて、問題は歳月です。
時がたち、何度も何度も細胞の再生が続くうちに、間違えるケースが(わずかづつでも)出てきます。
そんな欠陥細胞の増加―-それが、「老化」です。
「健康長寿」とは、こんな欠陥細胞の増加をできるだけ遅らせること――。
そんなことができるでしょうか?
医者は、薬に頼ります。
それしか、学んでいないからです。
しかし、薬漬けでどれほどのことが、可能でしょう?
かえって、薬が病気の原因になるのは普通のことです。

実は、もっと確実で、有効な方法があります。
むかしからいわれてきた、いわば人類の英知。
例えば、次の3か条
@ 食事〜栄養をまんべんなく
A 運動〜つまり、いろいろな器官を「使え、動かせ」
「廃用症候群」ということばがあります。使わないでいると、どんどん使えなくなる、役にたたなくなる。そんな症状です。それは避けたい。
B 休養〜十分な睡眠

あるいは、こんな5か条もあります。
一読〜本を読む
二笑〜笑う
三吸〜深呼吸する
四字〜文字を書く
五歩〜歩

どうやら健康長寿のキモは「歩くこと」にあるようです。
そして、「薬は止めよう(減らそう)」―-田辺さんのお話しを聞いた、だれもが思ったことです。

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2017年05月19日

取材を受けました オイルショックのことです

ハハハ、取材を受けました。
昨日のことです。
チャイハナのことではありません。
ほぼ半世紀前の石油ショックに絡まる「トイレットペーパー騒ぎ」のことです。
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あのころ、わたしは新聞記者(朝日 大阪社会部)でした。
そして、あの「トイパー騒ぎ」で最初の記事を書いたのは、わたしだったのです。
といっても、威張れる話ではありません。
1973年10月23日朝、わたしは泊り明けで本社にいました。
そこに、当番の薮内デスクが出社してきました。
「千里のスーパーでトイレットペーパーがなくなっているらしい。お前、行ってくれ」
薮内デスクは確か、千里に住んでいます。
奥さんかだれかの情報でしょう。
スーパーにつきました。トイレットペーパーの置き場は、壁に広い穴が開いたような感じで空らでした。
見たまま、聞いたままを、出稿しました。
千里などに配られる夕刊早版では、第2社会面で、大きな写真をつけて使われていました。
夕刊早版は、印刷するとすぐ、系列の朝日放送に届けられます。
そこで記事を見た名物アナウンサーの中村鋭一さんが、絶叫調で「トイパーないよ」と放送しました。
それを聞いた主婦がスーパーその他に駆けつけた――。
それが、わたしの理解している「トイレットットペーパー騒ぎ」の発端でした。
翌日から、遊軍記者たちを中心に大車輪の取材がはじまりました。

ところが、ウィキペディアなどで見ると、トイレットペーパー騒ぎは11月1日に始まっているのです。
この時間差は、いったいどういうことでしょう?
わたしの記事に戻ると、大阪市内に配られる夕刊遅番では、写真もなく、ベタ(1段)記事に変わっていました。
そして、つらいことに、わたしの書いた写真入りの早版記事が見つからないのです。わたし自身が切り抜きを保存していないし、多分、早版は「途中経過」という感じで、新聞社にも保存されないようなのです。
それは別にして、わたしは間違いを事実と信じこんできたのでしょうか?
気になるところです。
万一、どこかから記事そのもの(夕刊早版)が出てくれば、と願うものです。

それは別にして、NHK(BS)が取材を進めているのは、
「オイル・ショック 狂乱物価の裏側にあった真実とは?」
という番組です。
「アナザーストーリーズ」という連続物のひとつだそうです。
取材趣旨に、こんなことばがあります。
「トイレットペーパーが不足するというのは、典型的なデマに過ぎなかった。そもそも日本はOPECの石油割当削減の対象ですらなく、石油が不足することすらなかった」
それが、なぜ、あんな大騒ぎになったのでしょう?
いまさら、「騒ぎに点火する、発端の記事を書いた」なんて、心底、恥ずべきことですね。
その通りだと思いながら、その一方で、ニュースとみれば飛びつく、仕方のない、新聞記者という職業人の性のようなもののことを思います。
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2017年05月05日

元少年飛行兵

「戦争がもう1年続いていたら、戦死でした。あのころ少年飛行兵だったのですから」。
――そんなお客様が今日、お見えになりました。yjimage[7].jpg
89歳(昭和3年生まれ)です。
15歳で、仙台にあった逓信省航空局の航空機乗員養成所に入りました。
「逓信省航空局」と力を込めておっしゃいます。
(逓信局といえば、郵便を扱うお役所です。郵便飛行機だったのでしょうか?)
――これは、無知丸出しの問いでした。陸軍の少年飛行兵養成を引き受けていたのが、逓信省航空局だったのです。
「特攻に飛び立った先輩飛行士の姿は、いまも忘れない」

 昨日は、わたしの講座「世界はいま」がありました。
 聴講にいらっしゃった中に、「5年ほどのうちに3回、卒業証書をもらいました」という方がいらっしゃいました。
 (戦前の)尋常小学校と高等小学校、それに(戦後の)中学校です。
 (多分)広島出身です。父上は山本五十六提督とも親しかった、といいます。
 「この戦争は負ける。してはいけない戦争だ」
 そんなことをお父上は、終戦のずっと前からお話しになっていた、といいます。山本提督らの情報があったようです。

 チャイハナ光が丘は、ときに、老人クラブです。
 (飲み物を用意しながらのキキミミですので、聞き取りに100%の自信がないのが残念です)
 追伸
 元少年飛行兵の方は、いまも、歌の先生です。ご本人は、作曲家だとおっしゃっています。
 奥様は、銀座の天ぷら屋の看板娘。空襲で焼夷弾が落ちて、パジャマ一枚で逃げたとおっしゃいます。そのときの夜空を焦がす火炎を、ご主人は、当時滞在していた茨城県古河の宿舎で見たとのことです。
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